食事に誘うのは勇気が要る

池田大輝
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公開:2025/9/29

距離を縮めるならまずは食事から、という風潮のせいで、誰かを二人きりの食事に誘うのは、きわめてハードルの高いことのように思える。異性を食事に誘う=恋愛対象として見做す、という図式が成り立ってしまっている。だから、お互いが不快な思いをせずに済むように、双方の意図が最初から明らかなマッチングアプリだとか結婚相談所だとかが幅を利かせているのだろう。

別に、恋愛感情がなかったとしても、食事をしながらゆっくり話したいことくらいあるはずだ。同性なら、変には思われない。仲良くなりたい相手がたまたま異性なだけで、最初のアクションのハードルがぐんと上がる。

信頼関係があれば、問題にはならないだろう。では、どうやって信頼関係の第一歩を築くか。信頼関係の第一歩を築きたくて食事に誘うのに、そのためには信頼関係が必要になる。だから、ブートストラップが必要になる。多くの場合は、共通の知人からの紹介だろう。マッチングアプリも、ある意味ではブートストラップである。

こういうのは、昔から本当に苦手だ。駆け引きというか、根回しというか。たぶん、傷付くのが怖いのだろう。みんな、そうだと思う。傷付きたくないから、傷付けたくないから、マッチングアプリや結婚相談所を使う。できるだけ安全に、リスクを減らすことがお作法である。

面白いと思ったことには、後先を考えずに飛び込む人間である。一人でやるぶんには、楽しくて仕方がない。ずっとそうやって生きてきた。けれど、これからの人生は一人で生きていくわけにはいかない。いろんな意味で、パートナーや味方を見つける必要がある。どんな人が、パートナーや味方になってくれるかわからない。だから、少しずつ、距離を縮めなければならない。そのやり方が、わからないのだ。

だから、せめてものという気持ちで、こうしてエッセィを書いている。なにも発信しないよりはマシだろう。ネガキャンになっている可能性も否定できないけれど、これらのエッセィは私を100倍くらいに希釈したものである。希釈液を受け付けない人が、原液を飲んだら死んでしまう。

思っていた人と違った、と言い残して、消えて行った人は無数にいる。今まで出会った人のうち、今でも付き合いのある人はほんの一握りである。これは、そういうものだ、と割り切るしかない。一生一緒にいられる人なんて、数えられるほどしかいない。別に、それはそれで良い。仲良くしてくれる友人には感謝しかない。

次の一人に出会うために、見境なく誘え、というスタンスは、合理的かもしれないけれど、少なくともやりたいとは思えない。なんとなく、それでうまくいく気がしない。お互い不幸になるとわかっているのに、あえて会う意味がわからない。

経験上、長く付き合える人は、最初からピンと来ていることが多い。ピンと来るというか、この人とは長い付き合いになるだろうな、という直感というか、諦念というか、そんな感覚に近い。逆に言えば、ピンと来なかった人には、もう会わなくていいかなと思ったりする。そのような人に固執して、うまくいった試しがないからだ。

だから、この先、誰かを食事に誘うことがあるとすれば、それは、それなりに「重い」ものになる。だから、ますます勇気が要る。ますます気軽には誘えない。やれやれ。こんなことを書いてしまうから、自分の首を絞めるのだ。まったく、困ったものである。まあ、よくわかったと思うけれど、私からの食事の誘いは、デスゲームの招待状みたいなものだ。受け取った時点で、あなたは覚悟しなければならない。生き残るためには、このゲームの主催者の正体を、暴き出さねばならないのだと。

@radish2951
恋愛ゲーム作家。毎日21時頃にエッセィを更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink