創作という呪い、そして祝福

池田大輝
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公開:2025/4/13

中学生くらいから短編映画を撮り始めて、今は恋愛ゲームをつくっている。ジャンルこそ変わったけれど、つくっているものはあまり変わらない。大学は映画ともゲームとも関係のない理系大学に進んだし、普通に就職もした。それでも、少なくとも1年に1本はなにかしら映画なりアニメなりをつくってきた。今もつくっているし、これからもつくり続けると思う。

なぜ創作をするのか、自分でもよくわからない。小さい頃は、家族や友達や先生が褒めてくれるのがうれしい、という気持ちが多少あった。今は、そういう気持ちはあまりない。むしろ安易に褒められないように、変なことをしようとしている。ゲーム会社で働いたこともあるし、映画の仕事をしたこともある。一般的には、夢を叶えたといえるのかもしれない。けれど、そういう自覚は全くない。業界やジャンルに属することを夢見たことは一度もない。だから、どこにも馴染めなかったし、どこにも居場所がなかった。

創作が呪いのようなものだ、と気づいたのは最近のことだ。映画を撮るために大学院を休学したことも、ゲームを完成させるために会社を辞めたこともある。どう考えても異常だ。狂っている。しかし、過去の私はたしかに、その選択をした。

そう、呪われているのだ。つくるべきものがある。つくらなければならないものがある。その気持ちはずっと昔から私の中にあって、それを最近になってようやく、言語化できるようになった。きっと、誰も理解できないだろう。なぜそこまでのリスクを冒して、大切なものを棄ててまで創作をするのか。理解してほしいとは言わない。私だって理解できないのだ。理解できないのに、つくらなければならない。私にはどうすることもできない。ただ、つくる以外には。

そして、その呪いを一人で抱える必要はない、ということにも気づき始めた。私の作品を受け取ってくれる人がいる。私の創作の一部になってくれる人がいる。それがどれだけありがたいことか、ようやく、わかるようになった。そういう人たちのおかげで、私は生きている。

人生は長い。もう少しくらいは生きていたい。というか、生きなければならない。つくるべきものがまだたくさんある。それは呪いであり、そして願わくば、祝福だ。私が幸せになるよりも、私の作品に触れた人が幸せになってほしい。呪われたからこそ、祝福しなければならない。それが私の生きる唯一の意味だ。

@radish2951
ゲーム作家。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink