それは必ずしも悪い意味ではない。生きるために仕方なくやらなきゃいけないことはたくさんあって、そういう理不尽さにはだいぶ慣れた。問題は、それ以外。好きなことをやっているときに、自分は一体なにをやっているのかと思うことが増えた。熱中できないとか、楽しさを感じられないとか、そういうのとも少し違う。好きなことをやっていると楽しい。いや、楽しいという感覚さえ正確ではない。ただ、やっているだけだ。なぜやっているのかは、自分でもよくわからない。
じきに明らかになることだけれど、私はあるものにとんでもないお金を注ぎ込んでいる。というか、注ぎ込んできた。あえて隠すものではないけれど、ここではあえて伏せておこう。数年前まで、全く興味はなかった。興味は今もないかもしれない。ただ、それをやると決めたから、やり続けているのに過ぎない。傍から見たらびっくりするだろう。私もふと冷静になるたび、自分のやっていることにびっくりする。
人生を誰かに操られているみたいだ。導かれているというよりは、もっと受動的なイメージ。ただ、なにかに身体を委ねている。行く宛のない列車に乗っているかのよう。どこへ行くのかはわからない。窓の外の景色を見て、ああ、自分はいまこんなところにいるのか、と思う。途中下車はできそうにない。別に降りようとも思わない。列車に揺られるのは心地良い。ずっとこのままで構わない。電車賃が少しばかり高くつくのは、そういうものだと思っている。この旅の果てしなさに比べれば、ほとんどゼロみたいなものだ。
そう、旅。私は旅が好きだ。行き先のない旅。目的のない旅。ゴールのない旅。旅は無意味であればあるほど良い。この人生という旅の途中で、意味という荷物を少しずつ置いてきたのかもしれない。どうりで意味がわからないわけだ。おかげで身体はとても軽い。走り出してしまいたい気分。だけれど、電車の中ではしずかにしなきゃ。いつか広い砂浜に到着したら、二人で海まで競走しよう。