クリエイターは寝食を忘れて没頭するくらいじゃないとやっていけない、という風潮がある。これは、ある意味では正しいと思う。それくらいの強いモチベーションがないと、作品を生み出すことは難しい。モチベーションというか、もっと本能に近いものだ。それをせずにはいられない状態。突き動かされる感覚。長く活躍しているクリエイターのほとんどに共通している、必要条件みたいなものだと思う。
ただし、本当に寝食を忘れると、3日くらいで死んでしまう。冗談に聞こえるかもしれないけれど、不摂生で亡くなるクリエイターはとても多い。ひと回り上の世代の人は、みんな口を揃えて同じことを言うし、私のまわりでも、体調を崩して活動できなくなった人が少なからずいる。フィジカルに限らず、メンタルも大事だ。かく言う私も、今年の上半期はずいぶんと精神的に落ち込んで、ほとんどなにも手につかない状態だった。
数ヶ月前に比べると、今はだいぶ調子を取り戻した。取り戻したというか、ここにきてようやく、次のステージに進める予感がし始めている。
高校生くらいの頃から、私は映画を撮っていた。最初は友達と遊び感覚で撮り始めて、次第にそれが大きくなっていった。けれど、大学に入ると、思うように撮れなくなり、しばらく暗闇の中でもがいていた。もがく間、生活というものがたいへん疎かになっていた。「クリエイターは寝食を忘れて没頭するくらいじゃないとやっていけない」を地で行っていたのだ。一応、それなりにバイトもしたし、授業にも出た。けれど、それは、必要に駆られて、ろくに考えず、ある意味では創作活動と同じくらいに、突き動かされるようにやっていた。案の定、そんな生活は持続可能ではなく、いくつものバイトを逃げるように辞めたし、大学院も休学した。
そういう荒々しさが、最近になってようやく落ち着いてきた。というか、落ち着かせざるを得なかった。このままでは死んでしまうと思ったからだ。
荒々しさを剥き出しにして走り続けている人は、たしかにいる。それがクリエイターとして正しい姿であり、目指すべき理想だと思っていた。でも、そういう人は、恵まれているのだ。実家暮らしかもしれない。実家が太いかもしれない。たくさん売れて稼いだお金があるかもしれない。パートナーに支えられているかもしれない。あるいは、そのようなアドバンテージがなくとも、一人で生活も制作も全うするだけの超人的な力を兼ね備えているのかもしれない。いずれにせよ、恵まれている。
その意味では、私もある程度は恵まれている。それなりにお勉強はできるし、考える力もある。かといって、命を削り、刹那的にものづくりをするのでは、そのメリットのほとんどを無駄にしているようなものだ。今までそれがわからなかった。考える力があるということは、考えなければいけないということだ。私は天才タイプではない。思いつきや勢いやセンスや体力で勝負できるタイプではなかった。そういう派手さは、似合わないのだ。もっと地に足をつけて、地味に、慎ましくあらねばならない。
それは、たとえば、生活と制作の両立。どちらかだけで生きることはできない。ものづくりのない人生は想像できないし、命を削ってものづくりをすることもできない。生活と制作は、ゆるやかに繋がっている。繋がり、循環し、推進力を生み出す。
ここにきて、ようやく、そのサイクルに乗り始めた感覚がある。今まで味わったことのない感覚。喩えるなら、車の運転に慣れてきた頃のあの感じ。怖いものなどなにもない。どこまでも行ける気がする。調子に乗って、アクセルをぐっと踏み込みたくなる。でも、それはやっちゃいけない。まずは、左車線をのんびり走ろう。ガソリンが切れそうになったら早めに入れよう。眠くなったらパーキングエリアに行こう。おいしいご飯を食べて、寝て、少し身体を動かして。東京から秋田まで一人でドライブしたときのことを思い出した。少し気怠くて、でも清々しい。もうすぐ日が暮れるころ、ふと立ち寄ったパーキングエリアから見えた真っ赤な夕陽みたいに、美しく、しかし強く、生きたいと思った。