理想が高いとよく言われる。それは私もよく自覚している。思い描くビジョンが大きすぎて、地に足がついていないとか、もっと現実を見ろとか言われたりする。たしかに、夢を掲げたものの、まだ叶っていないものはたくさんある。というか、そんなのばかりだ。
でも、少なくとも言えることがひとつだけある。思い描いた夢よりも、大きな夢は絶対に叶うことはない。理想とは、文字通り理想であって、絶対にそこにはたどり着けないような場所を指す。どれだけ努力しても、幸運に恵まれても、理想の手前までしか行くことはできない。だから、夢を叶えたいのなら、それよりも大きな理想を掲げなければならない。
昔から理想主義なところはあったけれど、思えば、理想を描くのはあまり上手ではなかった。理想を描くことをサボって、ただ必死にもがいたり、目の前の現実に文句を言ったりしていた。それで夢が叶うはずがない。
最近になって、理想の描き方が、少しずつ上手くなってきた。昔は、映画監督になるのが夢だった。でも、それが最終ゴールだと思い込んでいたせいで、全然上手くいかなかった。映画監督なんて、インディーズ映画を撮ってYouTubeにアップすれば誰でもなれる。そもそも、全然映画を撮っていない監督だってたくさんいる。映画監督と名乗れば、それでおしまいだ。
そんなものは理想ではない。映画監督になりたいのなら、その遥かずっと先を見据えなければならない。映画の道を諦めて、ここ数年は恋愛ゲームをつくったりしている。不思議なことに、ゲームに出会って、視界が開けてきた。ファルコムにいた頃、上司がキャラクターのセリフの収録に通っているのを横目で見ながら、10年くらい経てば自分も行けるのかな、なんてことを思っていた。ファルコムは早々に辞めてしまったけれど、それから2年くらいして、自分がつくったゲームに声優さんをお呼びして、収録に立ち会うことになるとは想像すらしていなかった。ゲームがきっかけで、映画の仕事に関わらせていただいたりもした。
本当になにが起こるかわからない。現実は、私たちが素朴に思っている以上に、カオスで、無邪気で、果てしない。現実に振り回されているようではだめだ。現実をじっくりと観察して、そのうえで、水平線の遥か向こうに広がる世界に想いを馳せる。果てしなき現実の、さらに外側を私たちは想像することができる。
そうやって遠くばかり見ているせいで、足元がもたつきがちなのは、少々困った点である。でも、遠くを見る目が冴えてくると、不思議と足元も安定してくる。車の運転みたいな感じ。慣れてくると、手元を気にしなくても、すいすい走れるようになってくる。まあ、まだまだあちこちにぶつけてばかりで、偉そうには言えないけれど。
映画を撮りたい。つくりたいゲームもある。でも、それはほんの道しるべ、マイルストーンにすぎない。私はその遥か先を見ている。きっと、誰も見えない景色を見ていることだろう。同じ景色をみんなにも見せたいところだけれど、あいにく、どんな望遠レンズでも、遠すぎて写らないようだ。だから、歩いていくしかない。地道に、一歩ずつ。長い道のりだけれど、それが楽しい。隣を歩いてくれる人がいたら、と思わなくもないけれど、きっとそういう人は、私が見ている景色のさらに向こう側にいるのだろう。なんとなく、そんな気がしている。