この言葉の意味をそもそもよく理解していない。今の日本は貴族社会ではないはずで、基本的にはもはや無意味な言葉だと思う。ところが、聞くところによると、高学歴、特に東大に入学したような人間は、その能力をもって日本を豊かにする義務がある、という考え方は、どうやら珍しくないらしい。言われてみれば、高校生の頃はそんなことをよく言われていた。「君たちは未来のリーダーになる存在です」みたいな言葉を先生に言われたのを覚えている。こういうのは、現代的な「ノブレス・オブリージュ」といえなくもなさそうだ。
個人が好きに生きて良い時代に、なぜそんなことを言われなければいけないのか。「みんなのため」という発想が、根本的に理解できない。研究費の申請書を書く場合なんかには、その研究がどのように社会の役に立つかを説明する必要があり、それっぽい理由を書くことはある。もちろん、本心ではない。研究は、ただそれに興味があるからやるのであって、社会にどう役に立つかなんて、後付けの理由でしかない。
そもそも、社会の役に立つような成果を生み出すことは、基本的にはほぼ不可能だ。どれだけ頭が良くても、計画通りにいかないこともあるし、失敗して損害を与えることもある。社会を良くします、という宣言は、娘さんを幸せにします、という約束と同じくらい信用できないものである。
高い身分があるのなら、優れた頭脳があるのなら、それで何ができるかをよく考えてみたらよろしい。それが欲しくても手に入れられない人はたくさんいる。社会のために使えだなんて、誰でも思いつきそうなことを思いつくためにそれを与えられたわけではないだろう。簡単ではない問いだからこそ、問うてみる価値があるというものだ。