公私混同ってなんですか?

池田大輝
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公開:2025/7/25

「公私」という概念が昔からよくわからなかった。たとえば、歴史の授業。武家だとか公家だとか、幕府とか、戦争とか。「卑弥呼が国を治めた」と言われても、国とはなにか、治めるとはなにか、全くピンとこなかった。今もよくわからない。政府というものの実体はなにか? 政府に所属する人たちの集合なのか、その人たちが仕事をする建物なのか。どちらでもないと思うけれど、ではなにかと問われても答えられない。

たぶん、そういうのをひっくるめて「公」なのだろう。暴走族間の揉め事は「私」で、ロシアとウクライナの戦争は「公」。ママ友の中のカーストは「私」で、自民党内の序列は「公」。アイドルと交わす握手は「私」で、トランプと交わす握手は「公」。ざっと、そんなところかなと思う。

しかし、考えてみると、暴走族の中にも「公」はある。暴走族のリーダーは、チームを統括しなければならない。裏切りや離反も想定しつつ、メンバーの帰属意識を高める必要がある。かなり「政治的」だと思う。ママ友も、組織運営という意味では暴走族に似ている(悪口ではありません)。アイドルの握手会に「公」を見出すのは難しいけれど、もし石破首相が握手会に現れた場合、それがプライベートであったとしても、少なからず「公」を問われるはずだ。

そのような認識だから、公私というものに、いまいちピンとこない。つまり、公私混同にもピンとこない。公金でアイドルの握手会に行くのがまずいことくらいはわかる。公金は使途が明文化されており、それを破ればルール違反。これは公私混同というよりも、ルールを守るかどうかの話である。

私がよくわからないのは、「公私混同」という言葉の裏にある、「公私は明確に分離できる」という前提だ。そんなものが、あるだろうか? 国家公務員が面接で「国のために働きたい」と言ったとする。それは、個人的な気持ち、つまり「私」だ。面接の時点で、公私混同をやらかしている。公務員になると「プライベートであっても、公務員らしい振る舞いを心がける」みたいなことを誓わされる。もはや「公」の側が堂々と公私混同している。公私混同は、実は良いことなのかもしれない。

あながち冗談ではない。結婚式という、プライベートの極みみたいなイベントに、会社の上司を招くことは珍しくない。職場恋愛だって少なくない。大学の研究室で知り合い、結婚した例をいくつか知っている。ルールを守った上での公私混同は、みんなに歓迎されている。

「公」は、幻想みたいなものだと思う。暴走族のメンバーになることは、具体的な行為によって表されるものではない。私は組織の一員です、と誓うことに意味がある。全く同じことを、公的機関は公務員に強制している。仕事だから、という名目で、正当化されている。だから、公私混同はうれしいのだろう。組織や立場という幻想を、恋愛や出産という生々しさで無効化する。生まれてしまった恋や命は、紛れもない「生」の証だ。生を祝福することは、人間のDNAに刻まれているのだろう。

「公」というものが、私には理解できる気がしない。公私を混同したことも、分離したこともない。私は私としてしか生きることができない。そんなの、当たり前だと思うけれど、違うだろうか。まあ、この調子で生きていけば、いずれ、とんでもない公私混同をやらかすだろう。そのときはぜひ、お祝いしてください。

@radish2951
恋愛ゲーム作家。毎日21時頃にエッセィを更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink