私は本をあまり読まない。小説は特に読まないし、ミステリィはさらに読まない。読んだことがあるのは、東野圭吾と森博嗣。お二人とも出身は理系である。東野圭吾は『ガリレオ』シリーズをいくつか読んだ。森博嗣は『すべてがFになる』から始まる『S&Mシリーズ』を読んでいる途中である。どちらも、科学を応用したトリックや、大学をはじめとした研究所っぽい雰囲気が特徴らしい。
ミステリィと呼ばれるジャンルは、正直、これくらいしか読んだことがない。森博嗣は理系ミステリィと呼ばれたりするみたいだけれど、理系ミステリィではないミステリィがどんなものか、よくわからない。思うに、謎解きとは推論である。たとえば、「A」と「AならばB」から「B」を導くのが推論である。論理という道具を使わずに謎を解くことは、基本的には不可能である。
理系ミステリィではないミステリィはどうやって謎を解くのか? もしかして、怪しい人物をいきなり殴ったりするのだろうか? アクション映画ではよくあることだ。問題解決という意味では、それなりに有効な手段かもしれない。
謎解きの類がたいへん苦手な人間である。ミステリィを読んで、トリックに気づいた試しがない。パズルゲームなんかも苦手。本当に理系か、我ながら怪しくなる。
『すべてがFになる』という小説は、内容としてはそこまで楽しめなかったけれど、タイトルは本当に素晴らしいと思う。すべてとはなにか、Fとはなにか。タイトルは、読者に提示される最初にして最大の謎である。名作は、タイトルだけで名作とわかる。良い謎が提示されれば、その解き方はあまり重要ではない。
良い謎をつくることは本当に難しい。絶賛、悩み中である。でも、これを書いていて思った。私は、謎をつくる前に、それを解こうとしていたのだ。解くよりも問うほうが難しい。良い研究は良い研究テーマで決まるのに似ている。