そういう人が何人かいる。ジャンルは様々。イラストレーター、音楽家、役者など。これ以外にもいろいろある。というよりも、あまりジャンルは意識していない。職業で人を判断する習慣がない。職業や肩書よりも、その人が作品に関わることで面白くなるかどうか、思いがけない展開が生まれるかどうかを重視する。後者が特に重要だ。一人でものづくりをしていると、どうしても予定調和というか、想像の域を出ない、無難なところに落ち着いてしまう。それが嫌で、最近はいろんな人に積極的に関わっていただくようにしている。私の創作に関わってくれる人には感謝しかない。
誰でもいいわけではない。誰に任せても同じ仕事は、できるだけAIに任せるようにしている。そういうのはAIが一番得意だからだ。ほかでもないその人にお願いするからこそ意味がある、と思った人にしかお願いをすることはないと思う。それが具体的になんなのか、説明するのは難しい。というかほぼ不可能だ。強いていえば、そういう人は独特のオーラを放っている。それは、別に有名人であるとか、そういうことではない。明らかに他の人とは違う何かを持っている。それは、無理に誇示せずとも、自ずと滲み出る。むしろ、無理に誇示しようとすればするほど、ありきたりで陳腐なものに見えてしまう。
オーラを放っている人は、一目見ただけでわかる。というか、見なくてもわかる。Xのポストひとつでわかることもある。バズっているとか、強い言葉を使っているとか、そういうことではない。最初にその人のことを知った瞬間に、あ、この人は他の人とは違う、と直感するのだ。自惚れを承知であえて書くと、私はそのような嗅覚が比較的冴えているのだと思う。
あるいは、このような話がスピリチュアルすぎると感じる人へ、もう少し親切に説明するならば、そのような直感とは、つまるところ、偏狭な思い込みでしかない、ともいえる。直感が常に正解とは限らない。あとで答え合わせをしたときに、やっぱりあの人のほうが良かった、と後悔するかもしれない。けれど、ここで言いたいのは、どのような結果が待ち受けていたとしても、その人を信じるだけの覚悟があるかどうか、ということ。よくドラマのオーディションとかで、偉ぶった審査員が「覚悟があるのか」と候補者を脅すだろう。そのような審査員は、根本的に勘違いをしている。覚悟を持つべきは、審査員のほうなのだ。
いつかご一緒したいと思っている人とは、いつか本当にご一緒したい。そのためにも、もっと頑張らなければならない。あるいは、頑張らなければいけないという気持ちさえも、偏狭な思い込みかもしれない。つまり、まだまだ覚悟が足りないということ。どうか気長に待っていてください。あるいは、待ちきれないのなら、「覚悟があるのか」と私を脅してください。