芸事が特別扱いされるのはおかしい

池田大輝
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歌手になりたい。アイドルになりたい。声優になりたい。お笑い芸人になりたい。イラストレーターになりたい。小説家になりたい。映画監督になりたい。そのような夢に対して投げかけられる言葉がある。「成功するのは一握りの人間だけだよ」と。それは正しい。でも、そこにはある種の偏見が潜んでいる。

私はいわゆる「普通の会社」で働いたことがある。大体の人が名前を聞いたことくらいはあると思う。普通と呼ぶには些か規模が大きすぎるけれど、まあ、典型的な日系グローバル企業である。そこに2〜3年ほど勤めていた。

この会社に入りたくて入る人はほとんどいない。よくある大企業と同じように、ここは夢を叶える場所ではない。安定した収入を求めて皆、この会社に入る。ここに転職したとき、私は創作の道をほとんど諦めていた。前に勤めていたゲーム会社でやや心労を抱えたこともあって、まずは安定した会社に入り、創作活動は趣味でやれば良いと思っていた。システムエンジニアとして転職して、始めのうちは「これで勝ち組だ」と清々しい気分でさえあった。

しかし、転職して半年ほどで、仕事がだんだんしんどくなっていった。しんどいというか、「ちゃんと働く」ことを求められ始めたのだ。会社で働くことのイメージを、それなりに働いてもなお、私は掴み損ねていた。なんというか、ここでなにをしているんだろう、と感じていた。まわりの人たちがちゃんと仕事をしていることが不思議だった。仕事なんだから割り切るべき、とアドバイスされた。理屈はわかる。仕事に楽しさややりがいなど求めていない。それくらいは理解している。でも、割り切るとか割り切らないとか以前に、実感がないのだ。ふわふわしている。そんな感覚を1日に少なくとも8時間味わわされることが苦痛だった。

仕事なんだから割り切るべき、と言うのなら、仮に「1日1万文字シナリオを書け」とか「1日1枚背景イラストを描け」と命令されたら、仕事だから、と割り切ってやるのだろうか? 時々、会社の人たちが冗談めかして言っていた。「絵心がないもので」「頭が固い人間なので」と。それが冗談で済む仕事にありつけている、という自覚はあるのだろうか? 

仕事によって求められるスキル、というか適性は結構違う。アニメーターは、とにかく大量の線画を描かなければならない。絵を描くことが好きだとしても、自分の好きなものを描けるわけではない。描きたくないもの、興味のないものを延々と描き続けなければならない。だから、絵が上手くてもアニメーターに向かない人はたくさんいる。『トニカクカワイイ』の畑健二郎先生は、ジブリの面接を受けた際、鈴木敏夫プロデューサーから「目立ちたがり屋はアニメーターに向いてないんだよね」と言われ落とされたという。絵描きという仕事は一枚岩ではないのだ。

絵描き、アイドル、小説家。そういう仕事は「夢を追う仕事」と大きく括られる。反対に、一般的な企業への就職は「堅実な仕事」として対比される。しかし、そのような比較はあまりにもざっくりしている。夢を追うか、諦めるか。そもそも、仕事と夢を結びつける発想が安直である。趣味でも小説は書けるし、商業作家であっても小説だけで生計を立てている人はそれこそ「一握り」である。

一般的な仕事と、「夢を追う」仕事。その違いは、多数派か少数派か、という一点に尽きると私は考える。世の中的には、夢など持たず、普通に就職する人が多数派を占める。ゲーム作家として奔放に活動している私のまわりでさえそうなのだから、世間的にはもっと多いだろう。夢を持たない人は本当に多い。別に、全然いいと思う。全人類が夢を持ってしまったら、社会は立ち行かなくなるだろう。夢を持たないマジョリティのおかげで社会は維持され、世界は回っている。

対して、「夢を追う」人はマイノリティだ。やりたいことがある。やらずにはいられないものがある。諦めきれないなにかがある。きっと、本人にとってはごく当たり前の感覚だろう。でも、たぶん、それは少数派だ。夢を叶えるために行動を起こしている人はさらに少数派である。性的マイノリティは、全人口の5~10%を占めるという。マイノリティといえ、クラスに数人はいる計算になる。マイノリティがいかに多く、そして少ないか、想像できるだろうか。

そんな具合に、夢を追うマイノリティは、夢を持たないマジョリティに理解されない。理解されないから「そんなものやめておけ」と言われる。そのセリフは同業者からも浴びせられる。声優になりたい人のうち、実際になれる人はマイノリティだ。厳しい世界だ、と散々脅される。でも、考えてみてほしい。厳しい世界に生きているのは、夢を追う人だけではない。私がシステムエンジニアとして入った会社は、誰でも入れるわけではない。それなりの学歴とか、社会経験とか、適性を求められる。私が入れたのは学歴のおかげだろう。その学歴も、誰でも得られるものではない。入学試験を突破し、卒業認定を受けなければならない。それを乗り越えられる人だって「一握り」なのだ。

どんな世界だって、それなりに厳しい。それでも、みんな、自分にできそうなもの、向いていそうなもの、やりたいものをなんとなく把握して、総合的に判断して、進めそうな道を探す。マジョリティにとっては、それがたとえば「年収の高い会社」とか「ホワイト企業」になる。マジョリティだから、それが「正解」だという偏見が蔓延る。でも、そのような見方はあまりにも短絡的だ。

絵が上手い人が誰でもアニメーターになれるわけではない。声優を目指す人が全員声優になれるわけではない。小説家になった人がずっと売れ続ける保証はどこにもない。それはたしかに、厳しい現実だ。でも、厳しさは芸事の世界に限った話ではない。私にとって、典型的な大企業は「厳しい世界」だった。それよりかは、個人で細々と恋愛ゲームをつくっている方が遥かに楽である。芸事の世界を夢だのなんだのと身勝手な幻想に重ね合わせるのは、マジョリティであることに無自覚な人たちの軽薄な偏見に過ぎない。そんな言葉に耳を貸す必要はどこにもない。他人のアドバイスは参考にならない。自分の頭で考えることでしか夢を叶えることはできない。その夢が芸事であるかどうかは、ほとんど関係ないといえる。

@radish2951
ゲーム作家。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink