今年に入ってから、エッセィを毎日書いている。あわせて、今年の4月くらいから、ほとんど毎日、日報を書いている。と言っても、私が書くのではなく、ChatGPTとかClaudeといったAIに「これをします」「これをしました」ということを報告して、それを日報にまとめてもらっている。半年分くらい溜まってきた日報を、まとめてAIに読ませたところ、「とにかく健康を第一に」と警告を受けた。長時間労働、深夜作業が常態化していることがバレてしまった。
健康が大事なのは疑いようのない事実だ。やりたいことがあっても、それをやるだけの能力があっても、死んでしまってはなにもできない。生きていることがまずは大事で、同じように生きるなら、健康であればあるほど良い。
だから、当然、誰もが健康になるように、国が制度を整えたりしてくれている。と思っていたのだけれど、最近の我が国の総理大臣の働き方を見ていると、どうやら、健康とは真逆の方向を目指しているらしい。健康を犠牲にして、馬車馬のように働けと。勝手にやるぶんには構わないけれど、それを押し付けられては困る。一応、私は国家機関に所属しているので、明日は我が身という冗談が、全然冗談ではない。
現代は、健康であることがすっかり当たり前になった。病気であること、不調であることは異常である。勤務先には、健康なので働きます、ではなく、体調不良なので休みます、と言わなければならない。労働は、すべての人間が完璧に健康であることを当たり前のように前提している。
そんなのは幻想に過ぎない、ということに、ほとんどの人は気づいているだろう。みんな、なにかしらの不調を抱えながら生きている。精神の病も、最近になって、ようやくその存在を認められるようになってきた。病んでいる、なんて言うけれど、それが当たり前なのだ。
健康は、贅沢品だ。なにもせずに健康なら、それはものすごくラッキーなことであり、そうでないのなら、健康はそれなりの努力をしなければ手に入らないものである。当たり前のように生きることは、全然、当たり前じゃない。健康第一と言うのなら、私を健康にする覚悟を持ったうえで言ってほしいところだ。