かつて婚約者がいた。プロポーズをして、婚約指輪を渡した。プロポーズは成功した。でも、結局、結婚する前に別れた。申し訳ない気持ちはあるけれど、たぶん、避けられない運命だったのだと思う。詳細は省く。今も幸せに暮らしていてくれたらうれしい。
別れたあと、婚約指輪は返却された。持っていても仕方がないので、売りに行った。買取価格は、購入価額の1/10程度だった。なるほど、と妙に納得したのを覚えている。
それから数年が経って、結婚について考えることが増えた。恋愛ゲームをつくっているから、職業病みたいな側面もあるかもしれない。まわりの友人たちはどんどん結婚していく。つい先日も結婚式に参加した。幸福に満ちた瞬間に立ち会えることはうれしい。そうやって、結婚とはなにか、いろいろ考えてみて、思ったことがある。婚約指輪は買わないほうがいい。
婚約指輪は高い。高すぎる。相場としては数十万円程度だろうか。そのお金があれば、海外旅行に行ける。好きなものを好きなだけ食べても全然余る。指輪よりも、相手とそのような体験を共有することに価値を見出す人は少なくないと思うのだけれど、いかがだろうか。
それに、結婚したいと思う相手であれば、指輪など渡さなくとも、結婚することはほとんど既定路線である。相手に結婚する意志がないのに、一方的に結婚したいと思っているのだとしたら、そのような関係はそもそも先が見込めないだろう。指輪を渡すとか渡さないとか以前の話だ。もし、お互いにこの人と結婚したいと思っているのであれば、それはもう、お互いがわかっているはず。
結婚した友人を見ていて思う。本当に、幸せなのだ。運命の相手と出会い、結ばれる。こんな幸せが世界にはいくつもあることがにわかには信じられないけれど、それでも、幸せは、運命は、たしかにある。つらいことや苦しいことがあっても、二人ならきっと大丈夫だ、と、第三者である私が思うくらいだ。それくらい、結婚というものはきわめて強固な「繋がり」であり「誓い」である。
それなら、と思う。もし、目の前にいる相手が、本当に結婚すべき運命の人なのだとしたら、婚約などせず、結婚してしまえばいいのに、と。もし、本当に運命の相手と出会ったなら、きっと、すぐにわかると思う。出会った瞬間、あ、この人しかいないのだ、と。
そのような直感は、人生で未だ訪れたことはないから(本当にごめんね)、想像で書いているけれど、でも、たぶん、そうだと思う。結婚とは、それくらい重いものだ。結婚に夢見すぎ、と言われたこともある。否定はしない。それでも、結婚した人は、他の誰でも良かったわけではないだろう。二人にとって、結婚が軽やかで自然なものであったとしても、いや、軽やかであればあるほど、その運命は天文学的な確率を伴って、広大な宇宙の中の「特異点」として、相対的に無限の質量を持つのだ。
運命の相手かどうかは、出会った瞬間に確定している。いろんな人を見て、そう確信した。であるならば、結婚してしまえばいい。約束などせずとも、どこかに離れて行ったりはしない。離れて行ってしまったなら、運命の相手ではなかったというだけのこと。結婚して、婚約指輪を買わずに済んだ分のお金でちょっと良いものを食べて、あとは二人で暮らせば良い。ちなみに、婚約指輪は買わないほうがいいと思うけれど、結婚指輪には大いに価値があると思う。残りの人生の時間で割れば、ほとんどタダみたいなものだからだ。