と思う人が多いことはなんとなく知っている。特に子供を産みたい女性の場合、年齢は無視できないだろう。男性であっても、焦りを感じる人は多いらしい。たしかに、大きな傾向を見れば、年齢を重ねるほど結婚が難しくなることは、性別に依らずおそらく正しい。
生物学的なことを言えば、医学の進歩のおかげで高齢出産のリスクは低下しているらしい。事前の検査でリスクを特定したり、適切なケアを受けられるようになりつつあるという。社会の目も寛容になっている。「まだ結婚しないのか」と尋ねることは、関係性次第では完全にアウトである。結婚せずとも快適に生きていける時代だ。結婚しなきゃいけない理由はほとんど見当たらない。
つまり、「結婚しなきゃ……」と思うことは、あまり合理的ではない。いわゆる「価値観の内面化」というやつだ。結婚しなければならないという外部からの圧力を、いつの間にか、自分自身の願望と錯覚してしまう。「大企業に就職できなきゃ負け」とか「女子は理系に進むべきでない」とか、例を挙げればきりがない。これだけ流動的になった世界でも、張り付いた価値観というものは簡単には剥がれないらしい。
結婚はしなきゃいけないものではなく、したければすれば良いものである。というか、ほとんどのものがそうだ。憲法で義務付けられている勤労でさえ、していない人は山ほどいる。ましてや、義務でないことをする義務はない。
必要だからするのではなく、したいからするのだ。そう思うと、「結婚したい」という言葉にも、まだ義務っぽさが残っている。もしこれが願望なら、「誰でもいいから結婚したい」という言い方になるはずだからだ。きっと、誰でもよくはないだろう。もっと絞り込む必要がある。お金のある人と結婚したい? 優しくてお金のある人と結婚したい? イケメンで優しくてお金のある人と結婚したい? このように、絞り込めば絞り込むほど、結婚は絶望的に思えてくる。なぜか。絞り込んでいる時点で、それは欲求ではなく要件である。目標を達成するために必要な条件を並べているに過ぎない。どこまでも義務に縛られているのだ。
「やりたいことをやる」という人生の基本を、多くの人は忘れてしまっている。子供の頃は、言われなくてもそうしていたのに。そう思うと、婚活は、純粋な願望を思い出す訓練と言えなくもない。結婚しなきゃいけないから結婚するのではなく、結婚したい人がいるから結婚する。運命の相手に出会うことと、それを運命と思うことは、実は同じことなのかもしれない。