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「なんで可愛いって言ってくれないの?」

池田大輝
·
公開:2026/7/19

そんなことを言ったところで彼を困らせるだけなのはわかっていた。案の定、彼は少し気まずそうに目を逸らしたあと、申し訳なさそうにこう言った。

「あ、でも……可愛いよ」

「でも」って何? なんで「可愛いよ」って素直に言えないわけ? まあ、元が大して可愛くないのは自覚してるけどさ。だからこうして頑張ってメイクして可愛い服を着てるわけじゃん。もちろん、そんなことは言わない。これ以上彼を困らせたくないから。面倒な女だと思われたくない。彼のことは好きだった。結婚したいと思っていた。彼とそういう話をしたことはまだない。けれど、流石にそういうことを彼が全く考えていないとは思えない。お互いもうすぐ30歳だ。30になるというのに、こんなことでムキになっている自分が情けない。同時に、30になるというのに、将来のことを全然考えていないのか、はたまた考えないフリをしているだけなのか、いずれにせよ、釈然としない態度を貫く彼に対するフラストレーションもまた、限界に達しようとしていた。

「私のこと、本当に好きなの?」

我ながらめんどくさい女だ。涙が勝手に溢れてくる。別に、泣けばなんとかなるとか、そんなことは思っていない。泣けばなんとかなると思う程度の安っぽい女だと彼に思われているのだとしたら、とても悲しいことだと思った。私は彼のことが好き。ちょっと頼りないところはあるけれど、そういうところも含めて好き。結婚しても、仕事を辞めるつもりはない。彼に甘えたくはない。私は私の人生を歩む。叶えたい夢だってある。彼にそれを背負わせようとは思わない。彼もまた夢を追いかけていることを私はよく知っている。それを邪魔したくはなかった。付き合い始めた頃、彼はまだ売れない漫画家だった。あちこちの出版社に持ち込んでは、門前払いされていた。そんな彼が、今は連載を抱えている。漫画だけではまだやっていけないみたいだけれど、それでも、私の収入と合わせれば、結婚して、子供を一人育てるくらいの余裕はあるはずだ。本当は、そういうことを彼と話したかった。それなのに、どうして私は一人で泣いているのだろう。彼の申し訳なさそうな顔が視界に入る。そのことが、本当につらかった。

「ごめん……」

一番聞きたくない言葉を彼は言った。つまり、彼は私のことがもう好きではないのだ。私はどうすればいいんだろう。30手前にして、駆け出しの漫画家に見捨てられた哀れな女。私、そんなにだめだったかなあ。これでも彼に尽くしてきたつもりなんだけど。彼のために必死に働いて、ごはんもつくって、たまにはアシスタントみたいなこともして。そこまでやっても、「可愛い」のひとことすらもらえないような女だったのだ、私は。そう思った途端、もう、すべてがどうでも良くなった。

「ねえ、結婚しよう」

ほとんど何も考えず、私の口が勝手に動いた。その答えを、たぶん、私は知っていたから。

「うん……いいよ」

こうして私たちは結婚した。式も挙げた。なけなしの収入を彼は挙式費用に充ててくれた。私は無理に式をやらなくてもいいと言ったのだけれど、どうせならやりたいと彼は言った。結果的に、やって良かったと思う。なんだかんだ、新婚生活は穏和に続いている。彼は相変わらず「可愛い」とは言ってくれない。彼が私のどういうところを好きになったのか、私は知らない。もしかしたら、本当に全然好きじゃないのかもしれない。でも、それでいいのだとわかった。私は彼のことが好き。好きな人と結婚できたのだから、これ以上の幸せはない。そして、結婚してから2年が経った頃、私たちは子供を授かった。女の子だった。生まれたばかりの我が子を見て、彼は「可愛いね」と言った。彼のあんな表情を見るのは初めてだった。出産した日の夜、ズキズキと軋むような下腹部の痛みに耐えながら、薄暗い病室で私は泣いた。

@radish2951
恋愛ゲームをつくっています。毎日21時頃にエッセィを更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink