とっくに見放されているのかもしれない

池田大輝
·
公開:2026/2/21

自分は誰にも必要とされていなくて、もはやここに居場所はない。と、人生で何度も思うことがあった。会社にいたときは、特にそれを感じていた。仕事ができない。まわりの人に相談できない。自分のせいでみんなが迷惑を被っている。そう思えば思うほど、そこにいるのがつらくなり、自分自身にかけたプレッシャーに押し潰されるように会社を辞めた。

居場所というものが私にはない。安心できる場所というものがない。心を、身体を預けられる場所がない。世界のすべてが敵であり、すべての世界が私を見捨てた。見放されてしまったのだから、もう、自分の力だけで生きるしかない。私は永遠に孤独であり、ただしずかに死を待つしかない。

という過激すぎる悲観主義は間違っている、と認識できる程度には大人になった。落ち込むことはたしかにある。けれど、それを世界のせいにしたりせず、寝不足や栄養失調や気圧のせいにすることを覚えた。とりあえず寝ればなんとかなる。抱え込む前に相談すれば、だいたいの人は親身になってくれる。そうやって、地に足をつけて生きることを知った。みんな多かれ少なかれ、そのように折り合いをつけて生きているのだ、と。

でも、それは痛みを誤魔化しているに過ぎない、と本当は思う。降り止まぬ痛みを、不幸を、孤独を見て見ぬふりをして、ただ生きるというその一点に自分自身を最適化する。そうすれば、とりあえず生きることはできる。世界などというわけのわからない総体を意識せず、ただ目の前のことに集中すれば、目の前が幸せである限り、幸せな人生を送ることができる。

そんな人生は、私には幸せだとは思えない。目の前のことだけに追われて、ただ消費するような人生は嫌だ。世界はもっと広いはずであり、私の知らないものがたくさんある。知らないものを知ってみたい。触れたことのないものに触れてみたい。それは、私にとってきわめて純粋な幸せのひとつだ。日々を生きれば生きるほど、見知らぬ世界が広がっていく。ちっぽけで、孤独な自分を知る。

狭い水槽の中では、魚はすべてを知っていて、世界のすべてを支配している。そのように錯覚して、満ち足りて、幸せなまま死ぬことができる。孤独であると思うのは、それだけ世界が広いからだ。世界が広ければ広いほど、密度は小さくなっていく。誰かに出会うということが、運命的なものになっていく。宇宙空間にひとり放り出された宇宙飛行士が、どれほど孤独か想像できるだろうか。私には想像できない。その程度には、私を見放さずにいてくれる人がこの世界のどこかにいることを、私は幸運にも知っている。

@radish2951
恋愛ゲーム作家。毎日21時頃にエッセィを更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink