「僕、女の子の気持ちがわかるんです」

池田大輝
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公開:2025/6/24

彼は少し恥ずかしそうに言って、メガネの縁をぎこちなく指でなぞる。その行動の意味が私にはよくわからない。オーイシマサヨシを100回殴って100回生き返らせたような顔をした彼の名は、えーと……なんだっけ。いかん。完全にオーイシマサヨシに持っていかれた。星野源……なわけないだろ。米津玄師でもないし、キタニタツヤでもないし……というか、私はオーイシマサヨシの顔も星野源の顔も米津玄師の顔もキタニタツヤの顔も知らない。マッチングアプリで出会う男性は全員、自分のことをオーイシマサヨシか星野源か米津玄師かキタニタツヤだと思っている。これまでマッチングアプリで4人のオーイシマサヨシと会った。このオーイシマサヨシはたぶん5人目。

「えー、すごい。お姉さんとかいるんですか?」

わざとらしく目を見開いて私は返す。こんなにわざとらしい演技で大丈夫か不安になる。けれど、幸いこのオーイシマサヨシは、女優を見る目はなかったようだ。

「えっ、よくわかりましたね!」

オーイシマサヨシは嬉しそうに肩を揺らす。背が高いせいか、挙動がいちいち大きい。背が高い男性がいいな、と思っていたけれど、結婚したら苦労しそうだと思った。私よりも少し大きいくらいがちょうどよさそう。オーイシマサヨシはメガネの奥でにこにこ笑う。

「夏未さんは、ご兄弟は?」

名前を言われて、ドキッとした。ときめいたのではなく、この男が私の名前を知っていること、その名前で私を呼んだことに、恐怖に近い感覚があった。私はこの男の名前を思い出せない。冷や汗が出る。汗の滴が脇を伝う。こんな日に限ってノースリーブを着てきてしまった。こんなオーイシマサヨシのために気合いを入れてきたことが恥ずかしくて、汗はますます止まらない。

「え、えっと、弟がいます」

「へー、じゃあ、ぴったりですね」

「ぴったり?」

「僕には姉がいて、夏未さんには弟さんがいる」

「あ、ああ」

「だから、夏未さんはお姉さん、みたいな」

そういうことか。このオーイシマサヨシは、私を姉だと言いたいらしい。汗は一気に収まった。私はオーイシマサヨシについてほとんど何も知らないけれど、本物のオーイシマサヨシは、少なくともこのオーイシマサヨシよりは面白いはずだ。私は初めてオーイシマサヨシに申し訳ないと思った。

「ふふ、でも本物のお姉さんには敵わないですよ」

「いやいや、うちの姉なんか、もう、ひどいですよ」

「ひどいんですか?」

「はい。子供の頃は散々いじめられましたから」

「まあ、でも、ちょっとわかるかも」

「えっ!」

「いやいや、冗談ですよ」

「まあ……そんな感じで、ずっと姉に教育されてきたんで、女の子の気持ちはなんとなくわかるんですよ」

「えー、すごーい」

そして、ふと、いいことを思いついた。

「じゃあ、私がいま何考えてるか、わかります?」

くいっと顔を傾けて、少しだけ上目遣いにして、私は彼に訊いてみた。

えっ、と小さく漏らし、彼は黙り込む。

少しの沈黙のあと、彼はあまりにもわざとらしく、自信に満ちた表情で言った。

「女の子の気持ちがわかる——なんて言える男は信用できない、ですか?」

その日、私はオーイシマサヨシを聴きながら帰った。『君じゃなきゃダメみたい』という曲だけはどこかで聴いたことがあった。君じゃなきゃダメみたい——そんなふうに言ってくれる人にいつか出会う日は来るのだろうか。まだ熱い夕陽が右頬を灼く。帰りが遅くなることを一応覚悟はしていた。というか、男性に会うときはいつもそう。だけど、それは毎回、杞憂に終わる。

そうそう。女の子の気持ちがわかる、っていうのは、別にいい。実際、姉がいる男性は気が利くし、こっちも気が楽だ。ムカついたのは、女の「子」の部分。何、女の子って。背が低いから舐められているのか、はたまた、こんなことで苛ついている私がおかしいのか。まあ、それももはやどうでもいい。私はマッチングアプリをアンインストールした。そして、オーイシマサヨシを聴きながら、夕陽と呼ぶには明るすぎる太陽を電車の窓から眺めていた。

@radish2951
恋愛ゲーム作家。エッセィを毎日更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink