1年ほど前から、とある国立研究機関で研究職として勤務している。主な業務はシステムエンジニアリングだけれど、並行して研究も進めるように言われている。基本的には好きなように研究ができる環境である。私の最終学歴は学士なので、大学であまり研究らしい研究をしてこなかった。それが、ほんの些細なきっかけから、仕事で研究をするようになった。AIの登場もタイミングが良かった。いま、研究の大部分をAIと一緒に進めている。AIがなかったら1年はかかっていたであろうことが、1週間くらいでできるようになっている。大雑把な思考が得意で、細かい作業が苦手な私にとって、ざっくりしたアイデアを伝えるだけで形にしてくれるAIは、この上ないアドバンテージである。仮説を立て、AIに検証してもらい、その結果から新しい仮説を考える。日々、研究が楽しくて仕方がない。
その代償に、創作活動の進捗は芳しくない。年内にリリース予定の新作ゲームの進捗がややピンチである。創作活動も、基本的には研究に似ていると思っている。ビジョンを掲げ、手を動かして、作品をつくる。地味な作業が多いところも同じ。ただし、こちらはAIには任せていない。シナリオやイラストは全部私が書いて(描いて)いる。任せることもできなくはないのだろうけれど、そのようにはしていない。半分は意地で、半分はマーケティング戦略である。いや、後者がほとんどかな。AIが当たり前になるまでの、最後の悪あがきといったところか。来年にはどうなっているかわからない。
創作を続けるのは、楽しいというのもあるけれど、創作を続けた先に待ち受けているものを見届けたいという気持ちが大きい。これは、研究とほぼ同じだ。この計算を完成させれば、あの定理が証明できるはず。このプログラムを走らせれば、あのシステムが実現できるはず。この作品をつくり上げれば、キャラクターのみんなが、新しい世界へきっと行けるはず。そう、創作は一人ではない。ここが研究と違うところだ。共同研究者とか、そういう話ではない。研究は、自分の興味でやるものだ。そこに他人の意思は必要ない。創作は、少なくとも私にとっては、違う。誰か、たとえばキャラクターのために創作活動を続けている。大学時代、映画監督になりたくて、しかし仲間が集まらず、一人で映画を撮っていたことがある。全然、楽しくなかった。いまは恋愛ゲームをつくっている。たくさんのキャラクターたちと一緒である。とても楽しい。これから仲間が増えていくと思うと、余計に楽しい。
根っこにあるのは研究者気質だろう。あまりクリエイターっぽいとは思わない。クリエイターの集まりに行くと、なんとなく浮いている。まあ、研究の世界に馴染んでいるとも言い難いのだけれど。要するに、研究と創作にさしたる違いはないということ。個人的に、創作は一人でやっても楽しくなかったというだけの話。自分のための創作ができない。誰かがいないと創作ができない。その誰かを見失いかけているせいで行き詰まっている、という仮説は検証する価値があるかもしれない。