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オーディションに落ちまくっている

池田大輝
·
公開:2026/7/25

いろいろな公募やオーディションの類に応募しては落ちている。ゲームとか研究関連のものが多い。受かるほうがレアなのだから、落ち込んでいるわけではない。とはいえ、応募するのにもそれなりの労力がかかる。書類作成に数十時間はかかっている。その時間が無に帰すと思うとやるせない。その努力はいずれ自分のためになるよ、という励ましもあながち間違ってはいない。けれど、それではだめなのだ。自分一人で完結することならば、そもそも公募に出す必要がない。お金に困っているわけでもない(もちろん、もらえるならありがたいけれど、一般に公募の類でもらえるお金は使途が厳密に決められており、もらえてもあまりうれしくない)。なぜ応募するのかといえば、繋がりが欲しいからだ。

自分一人で抱えている状況を一刻も早く脱したい。外部との接点をつくり、人を巻き込んで、一人でやらずに済むようにしたい。応募はまさにその第一歩である。つまり、落ちたということは、その輪の中に入ることを拒否されたということである。会って軽く話をしてみる、という接点すら許されない。こうして、どんどん狭い世界に閉じていくループができる。

公募やオーディションがそのような繋がりを求める場として適切ではないというのはあると思う。特に国が主導する事業の場合、審査員をやりたくてやっている人は一人もいない。与えられた予算に対して説明可能な結果を残すことだけが求められる。おそらく利害が一致していない。民間企業ならどうか? 最近はインディゲームをプロデュースする会社が増えた。ビジネスとしてやる以上、売れるとわかっているものしか相手にされない。そういう世界なのである。

では、どうすれば良いのか? 少なくとも、自分は開かれた存在でありたいと思う。誰でも私にメールやDMを送ることができる。基本的にはお返事するようにしている。メッセージをいただけるのはとてもありがたいことだと思う。ゲームをつくりたいので出資してください、と言われると困る。そんなお金はないからだ。お金が有り余っているのなら、慈善事業としてやると思う。ただし、慈善事業であっても、ある程度は選ばざるを得ないわけで、つまり、やっていることはオーディションの審査員と同じである。

思うに、こういうのは縁でしかない。たまたま出会った人とうまくいったりいかなかったりする。うまくいかない確率のほうが遥かに高い。確率はコントロールできないから、とにかくたくさんの人と出会うのが合理的だということになる。一喜一憂せず、とにかくいろいろ応募してみるのが良いのだろう。というマインドでこの数年は生きているけれど、もちろん、そう簡単にはいかない。体力も精神力も限界に達し、ただ生きるだけでも大変なのに、いつ出会えるともわからない誰かとの出会いを求めて、誰のために書いているのかわからない書類を書く。それを続けられる人は、決して多くはないだろう。

繰り返すけれど、落ち込んでいるわけではない。これを読んだ誰かが手を差し伸べてくれるだなんて思っていない。エッセィを書いているときは、不思議とフラットな気持ちになれる。誰にも何も期待していない。期待していないからこそ、誰かがこれを読んでいるという事実がやけに不思議に思えてくる。私はあなたを選べない。あなたがこのエッセィを手に取って、読んでくれたのである。本当は、それで充分なはずなのに。

@radish2951
恋愛ゲームをつくっています。毎日21時頃にエッセィを更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink