絵を描くことは、ほぼ諦めていた

池田大輝
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公開:2025/4/7

絵を描くことは昔から好きだった。小学生の頃、勉強の記録を書き残すための小冊子のようなものがあった。その表紙に自由に絵を描いていた。自由に描いて良いと言われると、ここぞとばかりに自由に描いた。自由であればあるほど楽しい。昔からずっと、そういう性格だった。

自由に描くためには、しかし、自由に描くだけでは足りない。描きたいものを描くためには、描きたくないものをそれっぽく描かなければならない。理論というやつである。理系のくせに、絵に関しては理論を避けてきた。避けたというか、理論があることをそもそも知らなかった。自由に描けば、大人が褒めてくれる。小学生まではそれで通用していたかもしれない。けれど、大人になると、それだけでは厳しい。余程の天才でない限り、理屈抜きで良い絵を描くことはかなり難しい。

そういうことを知らないまま、なんとなく絵が上手くなったらいいなあ、と妄想しつつ、しかし、あいにく私は天才ではなかったので、結局、画力は小学生の頃から大して変わらないまま、大人になった。一応、グラフィックデザイナーとしてゲーム会社に就職することができたのだけれど、画力を買われたわけではなかった。キャラクターイラストを専門に担当する社員さんがいて、その人の描くキャラがとても魅力的に見えた。一生かかっても、自分には描けないと思った。それは憧れであり、それ以上に、挫折だった。どう足掻いても、絶対に自分には到達できない領域で活躍している人がいるのだと思い知った。自分は絵描きになれる人間ではなかったのだと、そう思った。

それから何年か経って、私はいま、恋愛ゲームをつくっている。シナリオもプログラムも、そしてイラストも自分で描いている。この数年で膨大な数の絵を描いた。500枚くらいは描いたのではないだろうか。なにを1枚とカウントするかにも依るけれど。こんなに大量に絵を描くことになろうとは、5年前には思いもしなかった。私の絵にお金を払ってくれる人もいる。本当に有り難く、信じられない気持ちである。

描けるようになったのは、理論を学んだからだ。それを教えてくれたのは、イラストレーターの吉田誠治先生だった。ちょうどコロナ禍が始まった頃、吉田先生はイラストの添削配信を始められた。添削してほしいイラストを募集し、実際に添削する様子をYouTubeで配信するのだ。これが、本当に勉強になった。細かい技術とかではなく、もっと大きな原理を学んだ。物理における運動方程式のようなものが、イラストにも存在することを知った。理系の私にとって、今まで読んだどんな美術書よりもためになった。

吉田先生がいなければ、吉田先生が添削配信を始めなければ、私は絵を描くことをとっくに諦めていたかもしれない。いや、諦めたのだ。一度ではなく、何度も。イラスト技法書を何冊も買った。YouTubeをやっている他のイラストレーターの動画も見た。全部、だめだったのだ。何度も何度も挫折して、こんなふうに描けるわけがないと、何度も思った。吉田先生に出会ったからこそ、かつての無邪気だった私のように、また絵を描けるようになったのだ。

ほとんど、運命みたいなものだ。絵を描く人間かどうかは、最初から決まっているのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。仮に決まっていたとして、それを知らせてくれる誰かに巡り会えなければ、絵を描く人間にはなれないだろう。才能とは、つまり、その程度のものなのだ。というわけで、以上、絵に描いたような創作論でした。

@radish2951
ゲーム作家。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink