ここのところ、守りに入っているなと我ながら思う。結婚の話とかしているし。フルタイムの仕事もしている。いや、守りがちなのは昔からかな? 勢いに任せて攻めるタイプでは少なくともない。かなり慎重にあれこれ考えてしまう。考えた結果、どうにでもなれ!と思って、思い切った行動をとることが多い。一応、それなりに攻めているつもりだけれど、もっと攻めたほうがいいと言われがち。たぶん、考えすぎなのだ。
考えることは悪くないと思っている。考え、悩み、時間をかけたからこそ、どうにでもなれ!と思って打った手がうまくいったりするのだと思う。とはいえ、時間は有限だということを、最近は特に感じる。時間が本当にあっという間に過ぎていく。焦っているわけではないけれど、あまり時間をかけても仕方ないと思うことが増えた。
完璧主義も関係しているのだろう。完璧じゃないと次に進めないと思い込んでいる節がある。これは、昔からずっとそうだった。完璧主義であり理想主義。まあ、そのおかげで、たくさんのことを経験できたのは良かったと思っている。理想に近づくためには、とにかく手数を重ねるしかない。ずっとそうやって生きてきた。
けれど、やはり、決定打みたいなものが足りないなと思う。積み重ねてきた厚みはたしかに感じる。でも、それだけじゃだめなのだ。どこかで覚悟を決めて、ガツンと攻め込まなければならない。今まで、それがなかった。
とはいえ、攻めることにはリスクが伴う。攻めた結果、失敗して、取り返しのつかないことになるかもしれない。それは避けたい。やりたいことはまだまだたくさんあり、いま、ここでくたばるわけにはいかない。だから、やっぱり、ある程度は守りを固めなければいけないのだ。
今まで積み上げてきた堤防の厚みを、ようやく実感できるようになってきた。遠回りだと思っていたことが、ここにきてじわじわと効き始めている。10年前の自分に感謝することが増えた。大局的に見れば、今までの人生は間違っていなかったのだな、と、胸を撫で下ろす思いである。
きっと、布石だったのだ。来たるべき時のために、土の中でエネルギーを蓄える。それが今までの人生だった。潮目が変わってきたのを、最近はたしかに感じる。明らかに今までとはなにかが違う。それがなんなのかはわからない。予感というやつだ。浮かれるような心地でもなく、惰性に身を任せる感覚でもない。あえて喩えるなら、歩き始めた赤子のような。あるいは、自転車に乗れるようになった子供のような。人生の相転移。ジャンプ。この機を逃しちゃだめだよ、と誰かが囁く。ようやく攻めるときが来たのだろう。ならば、攻めて攻めて攻めまくるのみ。あえて抽象的に書いてみた。具体的な未来は、そう遠くないからね。