という気持ちがずっと、うっすら、ある。きっと、多かれ少なかれ、みんな同じだと思う。やりたいことだけをやれている人はきわめて恵まれている。やりたい仕事に就いたとしても、やりたくない仕事も基本的にはやらなければならない。それも含めて楽しめればいいのだけれど、やりたくない仕事の割合が多いと、どうしてもしんどくなる。
こんなことしてる場合じゃないのに、と思いながら、このエッセィを書いている。まあ、これに関しては、別に、大したものではない。毎日30分くらいで、思いつくままに、適当に書いている。キーボードのタイピングの練習と、思考停止で文章を書く訓練と、多少の宣伝を兼ねていると思えば、むしろお得くらいに思っている。
本当に「こんなことしてる場合じゃない」仕事の中身は、なかなか書こうにも書けない。というか、書いたところで面白くない。そう、世の中の仕事のほとんどは面白くない。面白くないし、誰もやりたがらない仕事ほど給与が高い。コンサルの年収が高い理由がこれである。
とかなんとか、偉そうに書いておきながら、全然、思うようにはいかない。でも、まあ、一昔前に比べれば、とても恵まれた環境にいると思う。恵まれた環境と、恵まれない環境の両方を経験すると、環境というものは本当に運なのだなと思い知る。なんというか、残酷だ。
まあ、とはいえ、生きることからは逃れられないわけで、だとすれば、やりたいことをたくさんやったほうがいいと思う。やりたいことをやるために、やりたくないことを多少我慢してやる必要はどうしてもあって、あとは、その他もろもろの条件に、どこまで折り合いをつけられるかという話になる。
なんか、とりとめのない文章になってしまった。ごめんなさい。こんなことしてる場合じゃないのに、と思いながら書くと、散漫な文章になってしまうらしい。でも、考えてみれば、散漫な状態のほうが、より「自然」だ。整然とした、論理立ったものは、この世界においては不自然だ。人間にとって、論理的に考えることはエネルギーを要する。論理や秩序は、ぜいたくなのだ。
きっと、一生、こんなことしてる場合じゃないのに、と思いながら生きていくのだろう。ただ、その度合いは、だんだん弱まっていくと思う。獣道みたいなイメージだ。誰かが私の上を通り過ぎていくたびに、道らしきものができてゆく。道を切り拓くのはかっこいいけれど、自然とできた道を征くのも悪くはない。まあ、でも、やっぱり、こんなことしてる場合じゃないんだけどね。