こうしてエッセィを毎日書いていると「マメですね、日記とか続かないです」などと言われることがある。日記は、私も続いた試しがない。というか、書こうとしたことすらない。小学生の頃、夏休みに仕方なく書いた以外には、日記というものを書いたことがない。
日記は、他人には見せないものである。あくまで自分のために書く。それが私にはできない。こうしてエッセィを書いているのは、あなたのためだ。あるいは、いずれ読者になる人(つまりあなた)のためだ。
宣伝やマーケティングの意味がないわけではないけれど、それは自分のためというより、仕事のためと言うのが正しい。自己満足でも、ストレス発散でもない。多少、頭が整理されたり、文章を書く練習になっているのも、自己管理や仕事のためといえるだろう。睡眠や食事も同じ。やりたいからやるのではなく、やらないと困るからやっているだけ。頑張った自分へのご褒美だとか、自分で自分を褒めるだとか、そういうことをほとんどしない。セルフネグレクトという言葉があるらしいけれど、それに近い状態かも?
とはいえ、自分をいじめているわけでもない。追い込めば本来の実力を発揮するとか、傷つくほど強くなれるだとか、そういう言説は間違っていると、中学のバスケ部で身をもって学んだ。
たぶん、自分に興味がないんだと思う。このエッセィを書いているのは、私のようで、私ではない。私をまじまじと観察しながら、誰かがこの文章を書いている。食べたり眠ったりするのは、スマホを充電するのに近い。服も、いつも同じようなのしか買わない。そのほうが楽だから、という人がいるけれど、そういう感覚も特にない。なんというか、そんな感じ。
創作も、自分の意思でやっているとは必ずしも言い切れない。たとえば、私はゲームに興味がないのにゲームをつくっている。ゲームよりも映画が好きだし、映画はそのうち撮りたい。けれど、今はつくるべきゲームがあるから、それをつくっている。変な比喩かもしれないけれど、ゲームのキャラクターが私の雇用主みたいな感じ。つくれと命令されているので、つくらないわけにはいかない。もちろん、全然嫌じゃない。良い職場に巡り会えて、幸せである。
自分とはなんなのか、さっぱりわからない。1年以上、毎日エッセィを書いてみても、全くわからないどころか、わからなさは増すばかり。そんなもんなのだろうか? なんとなく、違う気がする。アイデンティティというものを、みんな、それなりに獲得している。みんな、大人になっている。すごいなあと思う。いつか大人になれる日は来るのだろうか。別に、なりたいとも思わないけれど。