と、書き始めてみたものの、あまり思いつかない。たしか、パート1ではお互いにピンとくること、パート2では偶然の出会いであること、パート3では最低限のお金のリテラシーがあることが条件と書いた。要するに、今のところは「お金のリテラシーがあること」くらいしかない。
あとは、強いて言えば、名字かな。できれば、名字はお互いに変えたくない。理由はシンプルで、愛する人の名前が変わるのが嫌だからだ。相手の名字を変えるくらいなら、自分のを変えたほうがマシ。ただし、手続きが面倒と聞くので、できることなら変えたくない。
早く、夫婦別姓が選べるようになればいいのに、と思う。少なくとも、私のまわりでは、望む声は結構多い。名前がアイデンティティの証明に使われる社会において、それを強制的に変更させることはきわめて非合理的である。身分証明が大事なら、マイナンバーを使えばよろしい。そもそも、名前は一意のキーではない。一意ではないものを、個人の証明に使うことは、システムとして破綻している。
と、虚空にお説教したところで、制度は変わりそうにない。仕方なく、事実婚を採用している人もそれなりにいると聞く。勤め先に依っては、法律婚と同様に扱われるところもあるらしい。名前を維持しつつ結婚することは、一応、できなくはなさそうだ。
さっき、名前をアイデンティティの証明に使うなと書いたけれど、これは、システムに対する要請であって、名前そのものは、きわめて重要なアイデンティティのひとつだと思う。喩えるなら、肌の色で差別することは許されないが、肌の色は、ある人にとってはアイデンティティであるのと同じ。
どうも、私は、素敵な名前に惹かれることが多いらしい。素敵な名前の具体例はもちろん挙げないけれど、たとえば、私のつくる作品においては、キャラクターの名前をとても大事にしている。名前を考えるのにいちばん時間をかけていると言っても過言ではない。キャラクターの設定や性格、口調よりも前に名前を決める。名前が決まると、残りは勝手に決まっていく。というか、名前を与えられたことで、キャラクターがアイデンティティを獲得し、自律的に動いてくれるようになる。そうなれば、作者である私は、あとは見守るだけで良い。
名前は大事だ。その人そのものと同じくらい大事と言っても良い。名前を与えられることは、愛されることに似ている。そう思うと、名字をあげたりもらったりするのも、必ずしも悪くないかもしれない。でも、愛されるために、自分の半分を捨てるのはやりすぎだと思う。
これは、なんの根拠もない、ただの直感だけれど、運命の相手は、名前を見るだけで運命の相手だとわかる。名前に一目惚れするのだ。そのような名前に出会ったことがあるだろうか。私はある。どんな人なのか全然知らないのに、なぜか気になってしまう名前。どんな詩よりも美しい文字列。その名前を呼ぶことは、ほとんど愛の告白に等しい。だから、迂闊には書けないのだ。