ワークライフバランスという言葉には深刻な欠陥がある。それは、ワークとライフがさも対等な概念であるかのように見える点だ。言うまでもなく、ライフがなければワークはできない。生きることからは逃れられないけれど、労働は、条件さえ整えば、放棄することができる。働かずに生きている人なんて、世の中には結構いるだろう。1日8時間労働も、法律がそう定めているに過ぎない。というか、別に8時間働く必要はない。8時間は労働時間の上限である。働き過ぎてはいけないと、法律が、国がそう言っている。
生きていることが当たり前になり過ぎて、その価値が軽視されている。当たり前に生きられる人は多いのかもしれないけれど、生きるだけで精一杯な人も結構いる。ワークライフバランスなんて言葉が生まれたのは、ライフが「趣味」くらいの意味に成り下がったからだろう。仕事か、趣味か。ライフがなければ、どちらもできない。ということを、この言葉を使う人は、少しくらい考えてほしいと思う。
なお、仕事か趣味かという話題については、仕事:趣味=1:9くらいが理想である。人間は仕事をするために生まれてきたのではない。人生を謳歌するために生まれたのだ。好きなことをやるために、少しくらい我慢して働いてあげないこともない。という気持ちで、仕事の割合をゼロにはしなかった。まあ、仕事か趣味かなんて問いは、10年後には無意味になるだろう。仕事に誇りなど持ちたくない。自分が満足できることをしていれば、それが仕事かどうかは関係ないはずだ。労働という制度ではなく、人生という自由のほうが、私にとっては遥かに楽しい。