推しの結婚

池田大輝
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有名人(推し)が結婚するとショックを受ける人がそれなりにいるらしい。自分は「推し」の感覚がいまいちよくわからないので、「推しの結婚」にショックを受ける感覚もいまいちよくわからない。

そもそも、結婚してショックを受けるような相手であれば、それは推しというか「ガチ恋」または「リアコ」、要するに、シンプルに恋しているのではないか。「推し」と「恋」は両立可能だと思うし、なんとなく観測する範囲では、「恋」を表明する、あるいは自分がその人に恋している事実をごまかすために「推し」という言葉でお茶を濁すケースが散見される。

相手が誰であろうと、恋をすることは悪いことではない。むしろ恋する姿は美しいと個人的には思う。

恋心を認めるのは難しい。それを誰か(意中の相手を含む)に伝えるのはもっと難しい。

ここのところ、「誰々が好きだ」とか「誰々と結婚したい」みたいな話をほとんど聞かなくなった。年齢のせいもあると思う。高校生くらいまではそんな話ばかりしていた。みんな、いつの間にか恋愛し、結婚している。もっと惚気話を聞きたい。

ちなみに、「マッチングアプリで全然うまくいかない」みたいなのは勘弁してほしい。あれは恋ではなく、単なる「結婚相手探し」である。ほぼ「ビズリーチ」と変わらない。聞きたいのは、純粋な恋心に翻弄されるやり場のない叫びだ。

恋をする。誰かを好きになる。ごく自然で尊いその気持ちを、もう少しくらい、素直に表明し、受け入れてもいいのではないかと個人的には思う。

ところで、色恋沙汰に全く興味のなさそうな小説家の森博嗣先生であるが、森先生のホームページには奥様(森さんの敬称に倣う)であるささきすばるさんの名前がトップに載っているし、エッセィでも奥様にまつわるエピソード(惚気話)がたびたび登場する。私の好きな作家は、惚気話をしたがる傾向にある。理由はよくわからない。

@radish2951
ゲーム作家。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink