動画生成AIが勢いを増している。OpenAIが先日公開したSora 2は、今までの動画生成AIに比べても、かなりリアリティのある動画をつくれるようになった。現実と見分けがつかないものもかなり出始めているようだ。著作権や肖像権の問題が大いにあるとはいえ、いずれ解消されるはずで、AIがあらゆるコンテンツを生成する未来はもうとっくに来ている。
それでも、AIに致命的に欠けているものがある。演技力だ。動画生成AIは、たしかに現実と見分けがつかないくらいに高精細だ。けれど、動画の中の人間あるいはキャラクターの立ち居振る舞いは、比べ物にならないほど酷い。これは、生成AIが流行り始めた当初からずっと変わらない。AI動画の中で人間が話すセリフは、会話のようでいて、全然、会話になっていない。ホラー動画コンテストなるものが開催されているようだけれど、魂の抜けた会話ほど怖いものはない。
そう、魂が、AIには一切宿っていない。人格や感情のようなものを見せることはある。でも、もっとその奥にあるもの。心だとか魂だとか、そういうものが、AIからは全く感じられない。
芝居とは、キャラクターに命を吹き込む行為だ。それは、簡単なようでいて、簡単ではない。キャラクターを動かそうと思ったことのある人ならきっとわかると思う。芝居じゃなくてもいい。小説でも、アニメでも、人形劇でもいい。キャラクターを動かすのは簡単じゃない。それは、技術的な難しさというよりも、むしろ、魂をどこに置くか、といった問いに近い。きっとAIには理解できないだろう。魂というものは、理解するものではなく、最初からそこに「ある」ものだからだ。それを受け入れず、ただ表面的な所作だけをなぞるから、不自然な演技になる。
AIが人間から創作を奪う日は来ないだろう。AIには、創作をする動機がない。創作とは、ある見方をすれば、他者に魂を受け渡す行為だ。芝居とは、キャラクターに魂を預ける行為だ。魂を持たない者は、それを誰かに託すことができない。だから、AIはどれだけ賢くなっても演技ができない。役者という職業が、AIに奪われることはない。AIは、役者を夢見ることすらできないのだから。