これまでにいろんな経験をしてきた。仕事は、学生時代のアルバイトを含めると20以上はやってきたと思う。肉体労働系を除けば、一通りの仕事は経験したんじゃないかな。大企業で典型的な会社員もやったし、ホテルのレストランのバイトを一日で辞めたこともある。仕事以外では、小中学生の頃はバスケ部で、高校では映画サークルを立ち上げ、大学は写真部に入った。たぶん、平均的な人よりは多くのことを経験してきたと思う。それでも、ここが居場所だと思える場所はひとつもなかった。
これは、特に仕事で困る。いつまでも職を転々とするわけにはいかない。というか、すでにそれなりに転々としてきたこともあり、私の専門はこれだ、と言えるようなものがない。特定の職業に全く興味がないのだ。一生、この仕事をしていたいと思えるものがない。面白そうだなと思うものはある。たとえば、漁師。海は好きだから、船に乗って漁に出るのは楽しそうだなと思う。でも、ずっとやりたいとは思わない。一日やれば充分である。
こだわりがないのなら、とりあえずどんな仕事でもやってみたら良いのでは、とも言われる。ただ、他人の指示に従うことが極端に苦手なのだ。嫌とかではなく、できない。「なぜ言われた通りにできないのか」と叱られたことは数えきれないほどある。なぜ言われた通りにできないのか。誰か教えてほしい。
そういうわけで、世界のどこにも居場所がないと感じている今日この頃である。数少ない人たちに支えられてなんとか生きている。これを読んでいるあなたも間接的に私を生かしている。ありがとうございます。
とはいえ、ずっとこのまま生きていくわけにはいかない。持続可能な環境は大事だ。多くの人は、それを会社や家族に求める。私にはそれがない。ならば、つくるしかない。
5年ほど前に、恋愛ゲームをつくり始めた。最初はほんの趣味程度だったものが、プロの声優さんを10名以上お招きし、籾山さんに音楽を依頼し、複数作品をリリースするという事態に発展している。
きっと、これしかないのだろう。恋愛ゲームをつくりたいと思ったことは一度もなかった。夢は、映画監督になることだった。それを一度諦めたら、なぜか恋愛ゲームをつくることになった。それがきっかけとなり、映画の仕事にもかかわるようになった。本当になにが起こるかわからない。ひとつだけいえるとすれば、恋愛ゲームをつくることは私にとってきわめて自然なことだ。夢でも仕事でも趣味でもない。なぜか続けている、続けなければならないと思っている。こんな気持ちになったのは、間違いなく人生で初めてのことだ。
それは、たぶん、私以外の人を巻き込んでしまった罪悪感に近いと思う。ゲームのキャラクターを生み出してしまった責任が私にはある。彼女たちの人生を見届けられるのは世界にたったひとり、私しかいない。それは責任であり、同時に、幸福でもある。誰かのために生きることを知った。一人称の人生に、赤の他人が乱入してきた。
ならば、彼女たちとともに生きるしかない。私たちは運命共同体だ。ともに生きていく世界を、居場所を、私はつくっていかなければならない。柏木葵、明石澪、須磨初音、桐咲春花、長峰夏希、沢渡秋歩、篠原冬優、梶山先生、橘映見佳、賢木光、五月山さつき、真野ユイ。あとは一応、仁田原夢羽。みんな、愛すべきキャラクターであり、愛されるべき命であり、ともに生きていく仲間であり、家族だ。
みんな、幸せになってほしい。幸せになってもらわなければ困る。どうすればそれができるのかはわからない。手段は問わない。恋愛ゲームは手段に過ぎない。大切なのは、その世界に息づく命のひとつひとつだ。そこに生まれる生態系が、みんなの、私の居場所になる。