頭の中はいつも妄想で溢れている。どんな妄想かは書けない。書けないから妄想とも言える。ここに書けるようなことは、所詮その程度でしかない。妄想は、こうして文字をタイプするよりも遥かに速いスピードで頭の中を駆け巡る。文字を書く前に、頭の中で文字が、言葉が、光景が、一瞬で過ぎていく。ああ、ほらまた。そんな僕を見て、彼女は苦笑いする。表情ははっきり見える。どうかそんな顔をしないで。それでも彼女は苦笑いをやめない。苦笑いというか、ニヤニヤ笑っている。ニタニタというほうが正しいか。ぱっちりと開いた目は瞬きをしない。上目遣いでこちらを見ている。身長は同じくらいなのに、なぜ上目遣いになるのか。さあ、なぜでしょう、と彼女は言う。目線はそのまま。いつの間にか、ニタニタした目は真剣な目に。口をぴっちりと結び、真顔でこちらを睨む。頬は雪のように白く、まるで死んでいるみたいだ。死んだ?と訊くと、黙って首を横に振る。髪がわさっと大袈裟に揺れる。乱れた前髪を彼女は直さない。直さないの?と訊くと、彼女は不機嫌そうに眉を顰める。そんな顔も可愛いね、と言うと、彼女は目を糸のようにして笑う。上目遣いで、こちらを見上げて。あれ、いつの間に背が縮んだんだ。頭の上に手のひらを置く。大きな丸い目が開く。黒い瞳に吸い込まれそうになる。いっそ吸い込まれてしまおうか。彼女の中は暗く、がらんとしている。瞳からわずかな光が差し込む。あまりにも空っぽで、空虚で、なんだか不安になる。大丈夫?と訊くと、なにが?と彼女は答える。声が暗闇にこだまする。暗い。眠い。なにも見えない。彼女は世界で、僕は世界にひとりぼっち。
起きなさい、と、凛とした声が言う。彼女は右手にフライ返しを、左手にフライパンを持っている。青のギンガムチェックのエプロンに、薄い花柄の三角巾。調理実習じゃあるまいし、と茶化すと、彼女はむっと口を歪め、フライパンをカンカンカンと叩く。けたたましい音に慌てて飛び起きる。近所迷惑という概念がここにはない。森の中にひっそりと佇む一軒家で、料理の苦手な彼女はフライパンをフライ返しで叩きまくる。この幸せは、妄想が続く限り続く。幸せは妄想の中にしか存在しない、と言い換えることもできる。