結婚相手に限らず、誰かを幸せにします、だなんて、口が裂けても言えないと思う。幸せは、その人が自分で手に入れるものだ。どのような状態が幸せであるのかについて、外部からとやかく言うことはできない。あるいは、その人自身も幸せとはなんであるのかを知らないだろう。死ぬほど焼肉を食べたいと思っても、いざ食べると、すぐにお腹がいっぱいになり、食べ過ぎたことを後悔する。幸せがそこにあったとしても、正しく認識することは難しい。
そもそも、誰かを幸せにするというのは、その人の内心に踏み込む行為だ。どのように感じるべきかを強要しているといえる。こうすれば幸せに違いないと決めつけるのは、なかなか暴力的な発想ではないだろうか。あるいは、具体的な幸せの形を選べるように選択肢を提示するだけ、という謙虚なパターンもあるかもしれない。焼肉に限らず、お寿司でも、ラーメンでも、スイーツでもなんでもお食べ、と。一見、理想的な「夫」に見えるかもしれないけれど、仮に自分がそのような待遇を受けたとして、幸せかどうかは疑わしい。焼肉もお寿司もラーメンもスイーツも飽きてしまって、あれもこれも、と言いたくなるだろう。あまり幸せだとは思えない。
幸せとはなんだろうか。幸せなまま死にたいのなら、飲み会で浴びるようにお酒を飲んで、みんなにチヤホヤされながら、急性アルコール中毒で死ぬのが手っ取り早いと思う。ただし、お酒を飲んで気持ちよくなれる人に限る。お酒を飲んで酔っ払った人は、とても幸せそうに見える。私はお酒に弱いので、残念ながらこの方法は使えない。
「娘さんを幸せにします」とは言えないけれど、「娘さんに出会えて幸せです」と言うことはできる。というか、そう思える人でないと、わざわざ結婚しないだろう。「私も大輝くんに出会えて幸せです」と彼女が言えば、ご両親も納得してくれると思う。ところで、私に出会えて幸せだ、と思っている人って、いるのだろうか? 少なくとも、私は聞いたことがない。私はいる。あなたに出会えて幸せだと、心からそう思っています。でも、ちゃんと伝えたことはない。お互い様ですね。