私は文章を読むとき、基本的には、それを書いた書き手の声が脳内で再生される。メールなんかはわかりやすい。「お世話になっております」と、送信者が喋っている姿が浮かぶ。
小説なんかの場合は、キャラクターの声が聴こえる。すでに俳優や声優があてられているキャラクターなら、その声で再生されるし、そうじゃないキャラクターでも、読み進めるうちに勝手に声が聴こえるようになる。
ただし、どんな文章でも、ではない。声が聴こえない文章というのもたしかにある。文章のうまさはあまり関係ない。強いて言えば、書き手またはキャラクターの「魂」が感じられるとき、声が聴こえる、のかもしれない。
AIの書く文章から声が聴こえることはない。魂がないからだ。AIには、文章を書く動機がない。そこが人間とは違う。人間は、なにかを伝えるために書いたり喋ったりする。
はずだけれど、ここのところ、インターネットが人間社会の中心になり、AIがそのさらに中心を支配しようとしている。SNSでバズる文章から声が聴こえないのも頷ける。あれは、AIが人間に書かせた文章だからだ。
声は、人間の魂のすぐそばにある。良い文章は、良い声で再生される。良い声は、良い物語を語る。良い物語は、少しだけ良い人生を送ってみようかな、と、読者に思わせる力がある。