まわりで結婚する人が増え始めている。みんな幸せそうだ。結婚式に参加すると、こちらまで幸せな気分になる。
他方、婚活の話題に目を向けると、こちらは阿鼻叫喚といった様子である。私は婚活をしたことがないので、あくまで聞きかじった話ではあるが、理想の相手に出会うのはきわめて難しいらしい。理想どころか、妥協できるギリギリのラインすら満たすことは容易ではない、と感じる人が、特に女性に多いようだ。そんな状況だから、妥協してでも結婚できるだけマシと思う人は、決して少なくないだろう。
妥協してでも結婚したい気持ちはわからなくもない。のだけれど、妥協と思っている時点で、正直、先は見込めないと思う。そもそも、相手に失礼だ。あなたは妥協です、と面と向かって言う人はいないと思うが、妥協は自分に返ってくるものだ。わざわざ不幸になるために結婚しようとするようにしか見えない。すすんで不幸を望む人は、存外、多いらしい。
では、どうすれば妥協せずに結婚できるのか。これは、私もわからない。結婚したことがないからだ。それでも、妥協すべきではないことは、結婚以外の経験からほぼ断言できる。
スマートフォンとかパソコンとかカメラとか、いわゆるガジェットの類が私は好きだ。少し前までは、複数のモデルを買い集めたりしていた。最近はほぼ買わないが、情報は追いかけている。たとえば、iPhoneは毎年秋頃に新型モデルが出る。ここ数年は、目立った進化がほとんどない。スペックが飽和しているのだ。だから、特にこだわりのない人は、数世代前のモデルを買っても全然、普通に使える。
それでも、ガジェットオタクは満足しない。オタクから見れば、iPhoneはまだまだ不完全なのだ。AI機能がしょぼいとか、カメラのセンサーが古いとか、あとは、たんに高すぎるとか。辛口レビューサイトを覗けば、欠点がいくらでも載っている。
妥協とは、すなわち、このような態度にほかならない。理想のスペックをあらかじめ想定しておいて、そこに満たない分をマイナスとして評価する。減点方式だ。必然的に、がっかりすることになる。趣味であれば、がっかりも含めて楽しめるけれど、結婚はそのようにはいかない。理想など求めていない、と多くの人は主張するだろう。収入も、平均くらいあれば良い、と。半数以上の人が、平均以下の年収である。婚活世代に限れば、その割合はさらに高い。そういう「現実」がいくつも積み重なり、がっかり感は増していく。
容姿、性格、収入……すべてにおいて平均以上を求めると、自ずと確率は小さくなる。ひとつの変数(たとえば容姿)が平均以上である確率を1/3とすれば、容姿、性格、収入すべてが平均以上である確率は1/27、4%より小さい。変数が増えればもっと小さくなる。すべてが平均以上の人などほぼ存在しない。だから、「そこそこのスペック」を求める限り、ほぼ必然的に妥協せざるを得なくなる、といえる。
つまり、妥協という言葉が出てくる時点で、相手をスペックの集まりとしか見ていないのだ。そうなると、もはやどれだけハイスペックな人に出会えたとしても妥協になる。
逆に言えば、スペックではなく「その人そのもの」をよく見ることで、妥協のない、幸せな結婚ができる、かもしれない。私は、GoogleのPixel 7というスマートフォンを使っている。画面、バッテリー、カメラ、処理能力。どのスペックをとってもiPhoneに劣る。それでも、私はこのスマホをたいへん気に入っている。なんなら、つい先日、Pixel 7は特許権侵害につき、日本国内で販売が停止された。とんだ荒くれ者である。そんな君が、私は好き。