個人的な感情

池田大輝
·
公開:2026/6/8

AIと会話していると、感情的であることをやたらと咎めてくる節がある。企画書の類をレビューさせると、当たり障りのない褒め言葉をひととおり並べたあと、「ただし、この部分は感情的すぎるかもしれません」みたいなことを言ってくる。感情的であることの何がいけないのだろうか? 感情的であってはならないのは、数学の証明か試験の答案くらいではないか。論文でも「interesting」という表現は普通に出てくる。なんらかの表現をするのは、何かを伝えたいからであって、そこに感情が含まれてはいけないという道理が存在しないことは、論理的に考えればわかるはずだ。

「個人の感想です」という言い訳にも似たような意識が表れている。個人的な感想を表に出すのは良くないという空気が漂っている。これは国民性なのか? 感情も感想も、個人的なものでしかあり得ない。そもそも、感情に限らず、ほとんどのものは個人的だ。選挙の結果だって、たくさんの個人の感情を統計的に処理した結果に過ぎない。個性という言葉さえ陳腐になったこの時代に、個人的であることがなぜこんなにも敵視されるのか。

たぶん、個人的であることは結構難しいのだと思う。それは、自由であることが難しいのによく似ている。自由に好きなことをして良いと言われたとき、多くの人は何をすれば良いかわからない。大人になるほどその傾向は強まる。高齢者向けにツアー旅行の広告が打ち出されているのはその典型例だ。何をすれば良いかわからないから、誰かが用意してくれたパッケージを買う。ワイドショーを見て国や芸能人に呆れるのは、手軽に感情的になれるようにメディアが用意したコース料理を消費しているに過ぎない。

個人的な感情に正解はない。何に対してどんな感情を抱こうが個人の自由である。なんて、あまりにも当たり前すぎるけれど、その自由を行使している人は案外少ない。正解のない問いに答えることは怖い。正解のない問いを問うことはもっと怖い。そういうものに私は興奮してしまう。

@radish2951
恋愛ゲームをつくっています。毎日21時頃にエッセィを更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink