みんな好きなことで生きている

池田大輝
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公開:2025/2/7

そんなことはない、今の仕事は全然好きじゃないし楽しくもない。という人は少なくないと思う。もし、仕事があまりにつらくて続けられないのであれば辞めることができるし、そこまででもないのなら続ければ良い。仕事は生きるために必要な手段であって、そこに好きとか楽しさとかやりがいは必ずしも求められない。

とはいえ、あまりにも身が入らない仕事は長続きせず、短期間で辞めてしまうことになるだろう。そうして短期離職を繰り返すと、徐々に選択の幅は狭まっていく。スキルが身につかないし、良好な人間関係も築きにくい。だから、ある程度は自分に向いている仕事、あるいは好きと思える仕事に就かざるを得ない。もちろん、そのような事情を全く無視して、単に給料が高いからという理由できわめてドライに仕事を選ぶこともできる。シンクタンクやコンサルはそのような人の割合が多いように思われる。ただ、こうした仕事は誰にでもできるわけではない。相応のスキルや能力が求められるし、感情を排して淡々と仕事をこなすことも能力に含まれる。その意味では、きわめてドライに仕事を選ぶ人であっても、それなりに自分の適性に見合った仕事を選んでいるといえる。「仕事に意味など求めるな。選ばなければ稼ぐ手段はいくらでもある」という主張は間違ってはいないけれど、そう言えるだけの能力を持った人のバイアスがかかっていることもまた正しい。

今の仕事が別に好きではない、という気持ちを多くの人が抱いているだろう。でも、今の仕事が大嫌いだ、と思っている人はそこまで多くないはず。大好きではないが、大嫌いでもない。それでひとまずは充分な収入を得ているから、今の仕事を続けている。そのような人が大半ではないか。

好きなものを問われると、人は「大好き」なものを答えようとする。でも、実際には「好き」はグラデーションであり、スペクトラムである。「マクドナルドが大好き」という人はおそらくあまりいないだろう。でも、「マクドナルドが大嫌い」な人はもっと少ないはず。だから、みんな、なんとなくマクドナルドに行く。本当に大嫌いだったら、そもそも店舗に近づきたいとすら思わないだろう。あえて食べに行く時点で、「かなり好き」なのである。

仕事も同じだ。本当に嫌いで、全く興味のない仕事だったら最初から選択肢にすら入っていない。漫画家は夢の職業として語られがちだけれど、ほとんどの人はそもそも漫画家になろうという発想すら持たないことを、漫画家の卵たちは知らない。漫画家になりたいと漠然と思っている時点で、かなり「好き」寄りなのだ。

自分の持っている選択肢、言い換えれば「手札のカード」は、その人の好みや適性をそれなりに反映している。その人にとっては当たり前の選択が、その他大勢の人にとっては当たり前ではなかったりする。だから、その中から「妥協して」選んだカードでも、客観的には悪くない選択といえる。本当にだめだと思ったらチェンジすればいいだけの話。少しずつ、良い方向へ進んでいくことは充分に可能だ。

と言いつつ、世の中には、一見するとアクロバティックな方法で、誰も予想しなかったカードを引く人がいる。小説家の森博嗣先生は、大学で研究の仕事をする傍ら、バイトとして小説を書いて、デビューした。「バイトとして」という点がポイントで、小説を書きたいと思ったことは全くなく、趣味のための収入源として書いたそうだ。なお、森先生はことあるごとに「小説を書きたいと思ったことは一度もない」と仰々しく書いておられるが、先日、デビュー当時のブログを覗いてみたら、「小説は工作に似ていて楽しい」と書かれていた。「好き」とは、それくらい気まぐれなのだ。このエッセィも、好きに書いているが、好きなことを書いているわけではない。「好き」ってやっぱり、難しい。

@radish2951
ゲーム作家。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink