100の稽古より1の舞台

池田大輝
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北野武監督の著書『人生に期待するな』を買って読んだ。

その中に次の一節があった。

例えば、稽古を1年やったヤツと、10日間、舞台に立った漫才師がいたとする。そのふたりを比べたら、舞台に立ったヤツが勝つに決まってるんだよ。

全くその通りだと思う。練習よりもまずは実戦。私はずっとそのように生きてきた。

練習というものを、人生で数えるほどしかしたことがない。小中学校時代はバスケ部に入っていて、ほぼ毎日練習があった。バスケも運動も苦手だった私にとって練習は苦痛でしかなかった。練習しても、大して上達しなかったように思う。まあ、多少の基礎体力と、理不尽さに対する耐性がついたくらいか。体力はともかく、理不尽さへの耐性はそれなりに役に立っている。理不尽で非効率的な練習をいくら重ねたところで全くの無駄である、ということを教えてくれる反面教師であった。

それ以降、練習というものをやった記憶はほとんどない。高校では映画サークルを立ち上げて映画を撮ったけれど、映画を撮る練習などしたことがない。全部ぶっつけ本番で撮った。就活においても、面接練習を一度もしたことがない。そんなことをやって意味があるのか不思議でならない。今は自分でゲーム(ビジュアルノベル)をつくっているけれど、ここでもやはり練習をしたことはない。昨年リリースした『さくらいろテトラプリズム』は私のシナリオライターとしてのデビュー作であるけれど、シナリオの練習は一度もしなかったし、練習しようと思ったこともない。ライティングの指南書のようなものも一切読まなかった。とにかく、いきなり書いた。そしたら、いつの間にか出来上がっていた。

もちろん、失敗もたくさんした。練習せずに、不慣れな状態で挑むから当たり前である。でも、別に一度の失敗で終わりになることなんてほとんどない。創作においては、違うなと思ったらいくらでもやり直すことがデジタルのおかげで可能だし、紙に書くにしても、多少手間はかかるが、やり直すことはできる。就職面接は、たしかに、簡単にはやり直すことができない。新卒カードは貴重だから、新卒で失敗したら次はないと落ち込むのも無理はない。でも、ほとんどの企業が中途でも入れる。一昔前は新卒でしか入れないと言われていた会社も、人手不足の波には抗えない。たとえ第一希望の会社に入れなかったとしても、第二希望の場所でそれなりに実績を積んでから転職することは充分に現実的である。

練習と本番。その一番の違いは「覚悟」にあると思う。本番では、絶対に失敗できない。少なくとも、舞台に立つ本人はそう思っている。もう後戻りはできない。ここで結果を残さなければ次はない。今、ここにいるお客さんを、面接官を相手にしなければならない。逃げる選択肢はない。どれだけ緊張しようと、恥ずかしかろうと、この場を乗り切らなければならない。100点にはならないかもしれない。笑われるかもしれない。それでも、ここで逃げたら0点、いや、そもそも採点すらされない。だから、覚悟を決めて、立つと決めた舞台を最後まで演じ切るしかない。

終わってみれば、案外あっさりとしたものだ。なんだ、こんなものだったのか、と思うはずだ。この感覚は、舞台に立たなければ理解できないだろう。私は去年、キングオブコントに出場した。初めて人前で舞台に立った。コントを披露して、多少、ウケた。結果は、だめだった。でも、それで充分だった。舞台に立ち、お客さんを笑わせる。それがどういうことか、やってみなければわからない。いくら練習しても、舞台に立たなければ絶対に到達できない場所がある、ということを知った。

以前、「芸人はバイトしている場合じゃない」というエッセィを書いた。バイトは非効率だ、という話を書いたけれど、バイトをしている暇があったらひとつでも多く舞台をこなすべきだ、という意味も含まれる。とにかく、本番でしかわからないことがたくさんある。それは具体的に教えられるようなものではない。だから、誰も教えてくれない。教えることができないからだ。ならば、自分でやってみるしかない。今の時代、芸にしろ創作にしろ、発表の場はたくさんある。やらない理由を探す方が難しい。その分、競合も多いから、すぐに成功する確率は極めて低い。でも、実際にやってみる人は案外少ない。

なんでもいいから、やってみる。それも「練習です」とか「落書きです」などと保険をかけずに、正々堂々、本番として、舞台に立ったつもりでやってみる。その心構え、覚悟こそが大切だ。技術はどうにでもなる。技術の大部分はいずれAIに代替される。でも、舞台に立つ覚悟は、あなたにしか持つことができない。覚悟とは、そういうものだからだ。

@radish2951
ゲーム作家。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink