それでも、まわりから見れば分厚い壁があるのだと思う。高校生の頃からそうだった。お前は近づき難いオーラを放っている、と担任の先生に言われた。もちろん、そんなものを放っているつもりはない。友達とは仲良くしたいし、人並みに恋愛だってしたい。いや、恋愛においてはむしろ、好都合だったかもしれない。恋愛で悩んだことはあまりない。いずれにせよ、自分からは見えない壁がずっとコンプレックスだったし、大人になった今も全く解消されていない。
こちらから歩み寄ろうと努力はしている。けれど、やっぱり、うまくいかない。想像するに、分厚い壁に囲まれた要塞が接近してくるように見えるのだろう。デス・スターみたいな感じである。そりゃあ、怖いに決まっている。冗談めかしているけれど、本気で悩んでいるのである。歩み寄ろうとしてうまくいかず、仕方がないから一人で抱える。すると壁が肥大して、デス・スターが巨大化する。負のスパイラルに陥っている。
どうすれば良いのか、よくわからない。たまに、壁をものともせず、平気で突っ込んでくる人がいる。正直、とてもありがたい。もちろん、限度はあるけれど、嫌なら嫌と言うので問題ない。へんに遠慮されるよりも、そのくらいのほうが気持ちが良い。忖度されるのは嫌いだ。真正面からぶつかってくれるほうがうれしい。なんて書くと、これはもう、孤独なヴィランのセリフそのものではないか。いま、ものすごくショックを受けている。
どうすれば良いのだろうか。ヴィランの比喩がしっくり来すぎて、こんなに落ち込むとは思わなかった。闇雲に他者にアプローチすれば、侵略戦争になってしまう。そんなことは、したくないのに。あるいは、自分ではどうしようもない支配欲が根底にはあるのかもしれない。だとすれば、やはり、自分ではどうしようもないのだ。正義のヒーローに胸を貫かれるくらいしか、救われる道はないのかもしれない。
本当は孤独なんかじゃないのに、孤独を演出してしまう。いや、演出なんかしていない。本当に、どうしようもなく孤独なのだ。孤独が、人間のデフォルトである。誰かと心を交わすことは、例外的な事態である。死んでいる状態がデフォルトで、生きていることが異状であるように。人は繋がり過ぎてしまった。人情という言葉は、それが当たり前ではないから意味があった。非情で冷徹な世界の中で、例外的な優しさが人情と呼ばれた。誰かに優しくなることも、優しさを受け取ることも、本当はもっと難しい。みんな、あまりにも器用だ。私はそんなふうにはなれそうにない。不器用に、精一杯、生きていくしかなさそうだ。どうか、怖がらないでください。