私の書いたものが誰かを励まし、勇気づけるから書く、のではない。それはそれでありがたいことだけれど、あいにく、私の言葉をあなたがどう受け取るかを私はコントロールできない。あなたがなにかを感じたのなら、それは私ではなく、あなたの手柄だ。
なぜこのように毎日エッセィを書いているのか。それは、私と、私以外のすべての人が、少しでも幸せに生きてほしいと願っているからだ。
今までそれなりにいろんなことを経験してきた。その結果、社会から見れば、私は「異物」であることがなんとなくわかってきた。似たような疎外感を抱いている人は、特にこのエッセィを読んでいる人の中には少なくないと思う。居場所がない。理解されない。誰にも必要とされていない。じゃあ死ぬか、というわけにもいかない。自ら命を絶つことは、他人を殺めることと同じくらい許されない。不寛容なこの世界では、生きることも、死ぬこともできない。
これは、つらい。私もつらいし、私のまわりの人もつらいと思う。できることならもう少し幸せに、あるいは、せめて自然に生きたい。では、どうするか。簡単な答えは無いだろう。異端者の人生に攻略法は存在しない。
だとすれば、あとは、できそうなことをやってみるしかない。それが上手くいくかどうかはわからない。それでも、なにもしないよりかはマシだ。ただし、リスクが大きすぎると、なにもしないほうがマシになってしまう。だから、低リスクで、無理なくできそうなことから始めるのがよさそうだ、ということで、こうしてエッセィを書き始めた次第である。効果のほどはまだ不明だけれど、幸い、無理は生じていないから、とりあえずは続けられそうだ。
とにかく、投げやりにならないこと。投げやりになると、自死という選択肢に収束する。喩えるなら、ゲームが上手くいかないからといって、ゲーム機を破壊するようなものだ。当然、ゲームは二度とプレイできない。そうではなくて、とりあえず、なんでもいいから、アイテムを探してみるとか、村人に話しかけるとか、雑魚キャラを倒しまくるとか。なにかしら、できることがあるはずだ。
これは、自分のためだけではない。RPGなら、あなたは世界を救う勇者なのだ。その第一歩として、アイテムを集め、村人から情報を聞き、雑魚キャラを倒さなければならない。勇者は世界を救う運命を託される。それは、勇者が進むべき唯一の道なのだ。
できそうなことをやる。これは、ほとんど生きることに等しい。その果てに待つエンディングは誰も知らない。ならば、進むしかないだろう。もしあなたが勇者なら、その歩みはきっと世界を救う。それがあなたの征く道であり、世界の、人類の、そしてあなた自身の幸せになる。問題は、あなたが勇者なら、という仮定の部分。勇者でなければ、その歩みは世界を滅ぼすかもしれない。まあ、これは気にしても仕方がないと思う。RPGの主人公はだいたい勇者だ。ゲームの開発者は、そこまで深く考えていない。気楽にいこう。ボタンを連打するだけでも、意外と前に進んだりする。ギャルゲーはまさにそういうゲームだ。人生に行き詰まったら、ギャルゲーをプレイしてみるのも悪くない。ギャルゲーに救われ、ギャルゲーをつくっている私が言うのだから、間違いない。というのは言い過ぎだけれど、まあ、でも、誰かの幸せを願いながらつくっていることだけは、たぶん、本当だ。