インターネットに馴染めない

池田大輝
·
公開:2025/9/8

最初にインターネットに触れたのが小学生の頃。おそらく、一般家庭にインターネットが普及し始めたのと同じくらいの時期だと思う。「Yahoo!きっず」で遊んだり、お絵描き掲示板に書き込んだりしていた。当時はポケモンの絵をよく描いていて、それなりにコメントももらっていた。それから、ずっとインターネットに触れ続けている。物心ついた頃からインターネットがそばにあった最初の世代といえるかもしれない。

その割に、インターネットにはいまだに馴染めない感覚がある。代表的なのがニコニコ動画だ。中学生くらいの頃から、ニコニコ動画は見ていた。それは主に、動画編集用ソフトウェアの解説動画を見るためだった。それ以外の動画はほとんど見ていない。ボカロとかMAD動画というものがあったことは知っている。おすすめにもよく出てきた。けれど、そういうものは一切見なかった。最近、マクドナルドや日清食品が、おそらく私と同世代のオタクをターゲットに、ニコニコ動画などのカルチャーが元ネタであろうコラボを頻発している。私には元ネタがほとんどわからない。

今も現在進行形で、ネットミームが生まれては消えている。こういうのが流行っているんだなあ、とは思うけれど、とにかく興味がなさすぎて、乗っかる気には全くならない。きっと、インターネット的なノリが理解できないのだ。数年前に話題になった『NEEDY GIRL OVERDOSE』というゲームの主題歌のタイトルが『INTERNET YAMERO』だったと記憶している。インターネット的な文化が背景にあるのだろう、と思うし、ちゃんと聴けばある程度は理解できるのだろうけれど、やはり、どうも、馴染める気がしない。

たぶん、インターネットを別の世界だと思っていないんだと思う。インターネットを楽しめる人は、インターネットを現実とは違う別の世界だと思っている。だから、ボカロに救われるし、MAD動画が思い出になる。私にはその感覚がない。インターネット、あるいはもう少し限定して、ウェブブラウザは、現実世界へのポータルの一形態でしかない、と思っている。インターネットは仮想ではなく現実だ、という感覚。

インターネットに救われたことが私にはない。私を救ってきたのは映画だった。映画は正真正銘のフィクションだ。あるいは、言い換えれば、「フィクションであることを保証してくれる」。インターネットにはそれがない。インターネットにあるものの大半は現実だ。現実とフィクションの区別がつかない、という表現が的確かどうかわからないけれど、とにかく、インターネットには、映画のような安心感がない。現実世界の誰かが、すぐそばにいるような気がする。それは、たとえば、ニコニコ動画の弾幕の向こうに。

私から見れば、インターネットに馴染める人は、現実世界でもうまくやっている。インターネットは、現実世界を「インターネットっぽく」変換した空間である。その構造は、本質的には現実世界そのものだ。フィクションは違う。フィクションは、ここではない、もう一つの世界だ。現実世界でうまく生きられない人間のための逃避先だ。私が創作をするのは、そのような世界が私には必要だからだ。

@radish2951
恋愛ゲーム作家。毎日21時頃にエッセィを更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink