過去に一度だけ、小説を書いていくつかの出版社に送り付けたことがある。メールやフォームの受付窓口が設けられていて、なおかつ持ち込みNGと明記されていないところにデータを送った。1年ほど経つが、今のところ、反応はない。どうやら、本を出したければ「なんとか賞」に応募するのが正しいやり方らしい、ということをのちに知った。
「なんとか賞」をいくつか調べてみて、気になったことがある。それは、応募の数がかなり少ないこと。さすがに直木賞とか芥川賞といった有名な賞ではなかったと思うけれど、それでも、なんとなく聞いたことのある賞の応募総数が数百程度だったのを見かけた記憶がある。正直、驚いた。
小説家を目指す卵はもっとたくさんいるものだと思っていた。数百では収まらないだろう。それでも、賞に応募する人はそれくらいしかいない。賞の権威が相対的に低下しているのもあるだろう。ネットに小説を投稿してラノベになる例もあると聞く。ちなみに、私は学生時代は映画監督を目指していて、いくつかのコンテストに応募していた。未完成映画予告編大賞という、オリジナル脚本とその予告編で応募できる大会があって、応募数は200ちょっとだったと記憶している。映画監督の卵も小説家の卵も、数はあまり変わらないのかもしれない。
映画は、1本つくるのに莫大なお金がかかる。多くの人間がかかわるから、人件費がものすごいことになる。反面、小説はほぼ一人で完結する。もちろん、編集者の人件費とか、印刷、流通にかかるコストもあるだろう。それでも、映画に比べたら、桁違いに安いはずだ。ということだけを考えると、小説家の数はもっと多くてもいいような気がする。
しかし、小説はどんどん売れなくなっている。小説に限らず、電子コミック以外の出版物はもはや風前の灯火である。だから、出版社は新たな作家を抱える余裕がないのだろう。それに、出版社を介さずとも本を読者に届ける方法は増えている。文学フリマの規模が年々拡大しているという話を以前書いた。このような状況を踏まえると、出版社は小説家の卵をもう少しうまく利用できそうな気がするけれど、どうなのだろうか。本が売れないから暇、というわけでもないらしい。編集者は激務と聞くし、編集者の求人はいろんなところで見かける。
思い出した。「なんとか賞」を見かけて、応募してみようかな、と一瞬思ってやめたことがある。フォーマットが厳密に指定されていたのだ。1行が何文字で、1ページが何行で、といった具合に。そんなの、AIにやらせれば良いだろう。読者が求めているのは、整った文章ではなく面白い物語である。そういうことをいつまでもやっているから、読者も小説家の卵も離れているのでは、と思わなくもない。