そんな日々が続いている。あまりにも変化がなさすぎて、エッセィの題材を探すのに苦労し始めている。強いていえば、5月の文学フリマに持っていくための本をつくり始めたことくらいか。とはいえ、これはシリーズものであり、今回は3作目にあたる。今回から新しい印刷会社に頼むつもりだ。変化があるとすれば、その程度。4月になっても特に目新しいことはない。今年の秋頃のリリースを目指して新作ゲームをせっせとつくっているけれど、こちらは去年の年末からずっとつくり続けている。もちろん、その進捗をいちいち書いたりしない。書いたらネタバレになるからだ。
それらも含めて、これから起こるイベントが結構多い。そうそう。7月には海外に行く。初の海外である。場所は……あとで書こうかな。エッセィのネタを温存しておきたいからね。とても楽しみである。行き先はどこでしょう?
あとは、すでに何度か書いているけれど、ちょっとしたオーディションのようなものが控えている。もう来週だ。こちらも詳細は書けない。落ちたら書かないし、受かってもしばらくは書けないので、このように匂わせを続けることになる。できればそんなことはしたくないけれど、エッセィを毎日書いている以上、そのようになってしまいがちである。
そう思うと、エッセィを書き続けるのも考えものだ。実際にはそれなりにいろんなことが起こっているのに、エッセィを毎日、それも不特定多数に向けて書いているせいで、平凡な日々が良くないものに見えてしまう。人生は映画でもゲームでもないのだから、イベントなんてそう起こらない。
ということを再確認できるのは、エッセィの良いところかもしれない。言い換えれば、長期的な視点を持つことができる、ということ。日々の出来事に思考を左右されないようになる。長期的なビジョンを持ち、抽象的に考え、計画的に行動する癖がつく。ちょっとうまくいかないくらいで落ち込まないようになる。あるいは、ちょっとうまくいったくらいで調子に乗らないようになる。長い目で見れば、人生はたしかに変わっている。それを、実感できるようになる。
このエッセィを読んでいるあなたは、もしかすると、それを私以上に実感している可能性がある。確率共鳴という現象がある。信号の中に微弱なノイズを混ぜることで、かえって情報が伝わりやすくなる現象だ。私のエッセィを、あなたは日々の生活の手触りを伴って読んでいる。要するに、私の意図しないものがあなたに伝わっているかもしれないということ。そう思うと、なんだか恥ずかしいですね。