ステージで歌い、踊り、ファンを楽しませる。それがアイドルという職業の基本ではあるけれど、それだけではたぶん、やっていけない。極端に言えば、だれでもアイドルになれる時代である。顔も声も出さずにアイドルになることだって不可能じゃない。だから、本当にアイドルとして売れていくためには、もっと別のことをしていかなければならない。
自撮り写真をSNSに上げるのは、もっとも手早く効果的なマーケティングのひとつだろう。新規を取り込みやすいし、広い層にリーチできる。自撮りを上げるのは、それなりにハードルの高いことだと思う。ある程度は自分の容姿に自信がないとできないだろうし、どちらかといえば気が進まないことだとは思う。このあたりに全く抵抗がない人は、天性のアイドルの素質があるのかもしれない。
アイドルじゃなくても自撮りを上げることはできる。コンカフェ嬢という職業があるらしい。行ったことがないのでわからないけれど、岸田メル先生をフォローしているせいでタイムラインにコンカフェ嬢の自撮りがたくさん流れてくる。コンカフェ嬢とは、要するにカフェの店員のことだろう。カフェの店員がやたらと自撮りを上げるのは、なんとなく違和感がある。でも、それが集客につながっているのであれば、ビジネス上は正しい戦略といえる。
自撮り写真は、その人のプライベートのかなり大きな部分を占める。ネットに外見を晒したくない人は多い。情報漏洩や誹謗中傷のリスクがある。また、自撮りに限らず、プライベートと仕事を切り分けたいと考える人は多い。そっちのほうが健全だと思うし、本来、仕事とはそういうものだと思う。だから、アイドルやコンカフェ嬢みたいにプライベートを売り物にする商売はどちらかといえば危なっかしく、マイナーな職業といえる。
ところで、私は新海誠監督のファンである。『秒速5センチメートル』と『天気の子』が特に好きで、間もなく公開されるであろう新作も楽しみにしている。新海さんの描く色や光、モノローグ、要するに「作品」が好きだ。でも、同時に、それを生み出す新海誠という「作者」もまた好きなのだ。いや、どちらかといえば映画よりも新海さんのほうが好きかもしれない。
新海さんはデビュー前、日本ファルコムというゲーム会社に勤めていた。そこでオープニングアニメなどをつくる傍ら、自主制作でアニメをつくっていた。それを知って、私もファルコムに入った。新海誠が過去にいたから、という理由だけではないけれど、それが半分くらいを占める。当然、新海さんはもうファルコムにはいない。だから、ファルコムに入れば新海誠に近づけるという理屈は一切ない。ほとんど、ファンとしての気持ちだった。聖地巡礼みたいなものである。新海さんの見ていた景色を見てみたい、と。新海誠に関わりたいのなら、ファルコムではなくコミックス・ウェーブ・フィルムに行くべきである。でも、それは考えなかった。作品としての新海誠よりも、人間としての新海誠に興味があったのだ。
クリエイター、特に物語をつくる作家のような職業は、その意味ではアイドル的な側面があると思う。念のために書いておくと、作品と作者は切り分けて考えるべきだと私は思っている。恋愛ソングを歌うアイドルが実際に恋をしているとは限らない。でも、アイドルはただ踊り、歌う人形ではない。その人という人間が、どうしても滲み出てしまう。作品やパフォーマンスとして提示できる部分から、プライベートを完全に切り離すことはたぶん、できない。
アイドル的な職業が正しいのかどうか、よくわからない。そんなことは絶対にやりたくないという人は多いだろう。でも、それが嫌じゃない人、あるいはそれを仕事にせざるを得ない人はたしかに存在する。ここ数年、私は恋愛ゲームを中心に物語を書いているけれど、なんとなく、そのように生きるしかないと思いつつある。ゲームで描かれていることはほとんどフィクションであって、私の個人的な経験とはほとんど関係がない。それでも、やはり、完全に切り離すことはできない。いや、むしろ、もっと深いレベルで統合されていかなければならないとすら感じている。偉大なアイドルや新海さんを見るたびに思う。
「しずかなインターネット」に毎日書いている一連のエッセィは、その訓練みたいなものだ。自撮りの代わりの文章である。ただ、まだまだ猫を被っていると我ながら思う。プライベートの上手い売り方を、アイドルやコンカフェ嬢や新海さんから学ばなければならない。駆け出しのアイドルのつもりで、日々、頑張っています。