私は遠慮しがちな人間である。というか、そのような人は多いと思う。ガツガツせず、様子を見ながら程よく距離を詰めていく。いきなり突撃して断られたり迷惑をかけたりしたら嫌だ、という気持ちは誰しもが持っているだろう。
けれど、突撃される立場になって考えてみると、実はあまり嫌じゃないケースが多い。道を聞かれるくらいなら、全然良い。友達から突然「電話しよう」と言われるのも、よほど忙しくなければむしろうれしい。たまに知らない人から連絡をいただくこともある。このエッセィを書いている「しずかなインターネット」には感想レターという機能があって、私に(匿名で)メッセージを送ることができる。もちろんうれしい。メールで感想をいただいたこともある。
連絡を取るということを、行動に起こす人はきわめて少ない。少し話が変わるけれど、以前、とある文学賞の公募に、どれくらいの数の応募が集まっているのかを調べたことがある。私でも名前を知っているくらいそこそこ有名な賞に、数百程度しか応募がなかった記憶がある。多いものでも数千程度。小説家志望の人間は、日本にはもっといるだろう。応募するだけで、一次審査を通過しているといえる。
狭いサークルの中に閉じていても、充分生きていける時代である。よほど困難な生まれでない限り、そこそこ勉強して、そこそこ働けば、無理をせずに生きることができる。わざわざ外に出なくても、ウーバーイーツやアマゾンが食事を家に届けてくれる。ただ生きていくだけなら、これほど恵まれた時代はない。
一方で、たとえば私みたいに、つくりたいものが無数にあるとか、やったことがないことにチャレンジしたいという人間には、やや逆風かもしれない。無理をせず生きられる世の中になれば、あえて無理をしたくないという人は増える。昔のゲーム会社は、学生バイトが適当につくったゲームをそのまま商品として販売していた、みたいな話も聞く。ここ数年は、ゲーム業界は空前の不景気で、大規模スタジオを中心にリストラが進んでいる。新作と謳いつつリメイクばかりつくられるのも、そのような事情があるのだろう。
そんな時代だからこそ、遠慮せず、突撃することが大事だと思う。言い換えれば、余計なことをする、ということ。何もせずに生きられる時代に、あえて余計な仕事を増やす。AIが仕事を奪うと騒ぎ立てられている。そんなに仕事を奪われたくないのなら、自分でつくってしまえば良い。仕事になりそうな人のところへ行って、こんなことをやりたいです、と伝える。
ただし、突撃するのにもセンスや技術が必要だ。無差別に連絡しまくるのは、迷惑な営業メールと変わらない。突撃する相手を選び、なぜあなたに突撃したのかをわかりやすく伝える。文学賞なら、作品そのものが雄弁に語ることだろう。有名人なら、似たような突撃を日々受け取っているはず。その中で抜きん出ることは簡単じゃない。それでも、突撃してみなければ、その先に進むことはあり得ない。
これまで、いろんなジャンルの人や会社に突撃してきた。そのうち、なんらかの返事をいただけたのが3割程度。そこそこ話を聞いてもらえたのが1割程度。継続的に関係が続いている人は、2%程度だろうか。あながち悪くない数字である、と思うことは、案外センスが要るのかも。一度撃沈したくらいで人生は終わらない、と思うことは、訓練すればできるようになる。とりあえず、突撃してみよう(感想レターを送れという意味ではありません)。