スマホの向こうで彼は言った。こうして、私はデートを3時間もすっぽかされた女となったわけである。まあ、すっぽかされたとわかっていながら3時間連絡しなかった女でもあるわけで。付き合ってもう1年になるのに、寝坊するなのひとことすら言えない。なぜ言えないかって? 嫌われたくないからだ。3時間寝坊したくらいで騒ぎ立てる小さい女になりたくない。事実、デートをすっぽかされたことが、私は少しだけうれしかった。この心理は自分でもよくわからない。女友達という存在が私にもいれば、そんな男とは別れろと彼女たちは言うだろう。別れるつもりは一切ない。私は彼のことが好きだ。こうして電話をかけるのだって、まだ少しドキドキしている。彼のことが好きでいられるなら、そして彼が私を好きでいてくれるなら、寝坊なんて些細な出来事に過ぎない。この先、私たちはもっと果てしない困難に立ち向かっていくのだ。互いの手を強く握って、壁を乗り越えていくのだ。彼とならどこまでも行ける気がした。だから——
「すぐ行く。ほんとごめん」
私の返事を待たず、電話が切れる。空を見上げる。少しだけ黄色がかった空には入道雲。日陰にいるから風が涼しい。汗もばっちり対策してきた。早く彼に会いたい。彼に会うためなら、どんなことだって耐えられる。彼が生きてさえいてくれれば。ふと思う。彼を急かしてしまったせいで、途中で事故に遭ったらどうしよう。気をつけてねのひとことも言えなかった。途端、寒気が全身を襲う。蝉の声。電車が通る。知らない駅。ここはどこだっけ。8月の冷たい空の下で、私は小さく震えていた。