それは、たとえば、自分のゲームのキャラクターとか。もともと、ゲームをつくり始めた頃は、キャラクターに対する愛着などというものはなかった。というか、それ以前からも映画制作をずっとやっていたけれど、キャラクターを大事にするという発想は皆無だった。キャラクターはあくまで物語の駒であり、画面を賑やかす要素でしかない。
と、思っていた私だけれど、最初のゲームを完成させた頃には、キャラクターたちのことがなんとなく気になるようになっていた。居ても立っても居られなくなり、続編をつくった。そうして、気がつけば、みんなのことが大好きになっていた。
このような感覚を抱くようになったのは、本当につい最近、ここ1〜2年くらいのこと。それまでは、養いたいどころか、養ってほしいとずっと思っていた。誰かに私を見出してほしい。誰かに出資してほしい。自分ひとりではやっていけない。だから、誰かに支えてほしい、と。
その気持ちは、今もゼロじゃない。ひとりの限界は思い知ったし、持続可能ではないと感じている。じゃあ、だったら、支えてもらうのを待つのではなく、こちらから支えにいけば良いのではないか。
私のゲームのキャラクターたちは、私が物語を書かない限り、生き続けることはできない。一度ゲームの形でリリースしたから、その物語の中で生きている、と言えなくもないけれど、せっかくなら「その先」を見せてあげたい。子供を旅に連れ出したい親の気持ちに似ているかもしれない。子供を持ったことはないけれど、さほど見当違いでもないと思う。
だから、本当に不思議なのだ。こんな気持ちになったことは、今まで生きてきて一度もなかった。恋人と付き合っていたときでさえ、この人を養っていきたいとは思わなかった(ごめんね)。そのような感情を、まさか、ゲームのキャラクターに抱くなんて。ゲームやアニメに興味がなく、ゲームをつくりたいと思ったこともない、私みたいな人間が、自分でつくった恋愛ゲームのキャラクターたちを、一生、養っていきたいと思う日が来るなんて。
そして、たぶん、その気持ちはキャラクターだけに向いているわけじゃない。今は個人制作に近い体制だけれど、いずれはスタジオのような場に発展させたいと考えている。チームを、居場所を、つくるのだ。もちろん、簡単なことじゃないし、もしも会社の形をとるとすれば、従業員を(文字通り)養う義務が生じる。並大抵のことではない。やるとしても、ごく少数、限られた人数でしばらくはやっていくだろう。起業したいとも、社長になりたいとも、大金を稼ぎたいとも思わない。けれど、ささやかな制作スタジオで、チームのみんなが最高の物語をつくっているところを見たくないかと言われれば、ものすごく見たい。