それは「自らも演者として出演している」ことだ。
新海誠監督はデビュー作『ほしのこえ』で自ら声優を務めた。のちにプロの声優による声が当てられたけれど、個人的には新海さんのオリジナルバージョンのほうが世界観が統一されている感じがして好き。
スマブラの生みの親である桜井政博さんは、スマブラなどの一部作品でデデデ大王の声を務めたという。記憶の中のデデデ大王の声と桜井さんの声が全然合致しない(多少加工されているらしい)。どういう経緯でデデデ大王の声をやることになったのか、非常に気になる。
『リリィシュシュのすべて』などで知られる岩井俊二監督は、庵野秀明監督の実写映画『式日』に出演している。逆に、庵野秀明監督は岩井俊二監督の映画『ラストレター』に出演している。自分の作品にお互いを呼ぶ。素敵な関係だなと思う。こういうことができたら楽しそうだ。
この人たちは、みんな目立ちたがり屋かと言われれば、そうでもないと思う。まあ、世間一般の基準から見れば目立ちがり屋だろうけれど。なんというか、演者として役を演じることもまた創作の一部という感覚があるのではないだろうか。新海さんは、ビデオコンテ(映画の設計図のようなもの)を作成する際に、自身で仮の声を当てているという。それが作品にとってプラスであるかどうかは、正直よくわからない。けれど、そのような制作方法を選択することもまた作家性の一部であることは間違いない。そういえば、北野武監督は、まさに自ら役を演じる代表的な作家だった。ぱっと思いつかなかったのは、私が北野監督作品に疎いのが原因である。『アウトレイジ』シリーズしか観たことがない。でも、たぶん、かなり好きなタイプの監督だと思う。
つくることと演じることがシームレスにつながっている。そのような特徴を、私の好きな作家さんたちは持ち合わせているように思う。かくいう私も、多少は役を演じてきた。学生時代の映画やジャルジャルのコント出演などを合わせるとゆうに10本は超える。とんだ大根役者ではあるけれど、キャラクターを演じることは楽しいなといつも思う。最後に、ジャルジャルと共演したコントをご紹介して終わりにしよう。桜川くんが私です。コラボのお誘い、お待ちしています。