私の卒業した東京科学大学(旧東京工業大学)はいわゆる理系の大学で、女子の割合が少なかった。少なくとも私の時代はそうだった。最近は理系の女子を増やす試みが盛んと聞くから、昔よりは女子の割合は増えていると思う。
それでも、ほとんど男子の中に女子が数名、または一人だけという状況は今でもそれなりにあると思う。昔なら紅一点、最近はオタサーの姫などと揶揄される状況である。本人が姫と思っているかどうかはさておき、そのような女子が、多数の男子からアプローチされることは決して珍しくない。
あくまで想像だけれど、男性ばかりの環境に身を置いた途端、急に多くの男性からアプローチされたことのある女性は少なくないと思う。そういう状況を何度か見聞きしたことがあるし、当事者から話を聞いたこともある。SNSはそういう話でいつも盛り上がっている。
男性からアプローチされて、「どうして私?」と思ったことのある女性はそれなりに多いのではないか。女という属性だけで好意を持たれることに気持ち悪さを感じることもあるかもしれない。一人の人間としてではなく、一人の女性として性愛の視線に曝される気持ち悪さは想像に難くない。
ところで、私は就活の時期に、小銭稼ぎをしていたことがある。東工大は就活市場ではそれなりに人気のある大学らしく、就活イベントに参加するだけで図書カードがもらえたのだ。まったく興味のないイベントに、図書カード目的だけで何度か参加し、そこそこの金額を稼いだと思う。
東工大生というだけでお金がもらえることと、女性というだけで好かれることは、どこか似ていると思う。もちろん、好かれることは危害を加えられるリスクにも繋がるから、良いことだけとは限らない。それは、かつて東工大生だった私も身に覚えがある。
東工大生は優秀で、勤勉で、仕事ができるというイメージがあるらしい。実際、そのような人は多い。だから、私もそのように優秀な社会人として期待されたこともあった。でも、全然だめだった。期待に応えられるような、よくできた東工大生ではなかった。
属性だけを見て期待され、期待に応えられず、逆恨みされることの痛みを知ったのは、この時が初めてだと思う。それ以来、恋愛観も少し、変わった。性別は、本人にはコントロールしようがない。それを手放すことは、基本的にはできない。手放したくても手放せないもので他人からジャッジされる気持ち悪さは、それを持たない人には想像し難いだろう。しかし、考えてみれば、誰だって手放せないもののひとつやふたつは持っているはず。それを知ろうとすることは、他者の痛みを想像することとほとんどイコールである。