10月頭に引っ越して、同時に、家事を時短できる類の家電をいくつか買い揃えた結果、可処分時間のほとんどを労働に充てられるようになった。可処分時間とは、睡眠や食事など生きる上で必要な時間を除いた自由時間だ。睡眠が8時間、食事が1時間、入浴その他が1時間とすれば、1日の可処分時間は14時間になる。
今年の4月くらいから、日報を毎日書いている。AIに「これをします」「これをしました」と伝えると、勝手に記録して、1日の終わりに日報を作成してくれる。ここ2週間くらいの日報を見ると、1日12時間以上働いている。日報を記録してもらう際、休憩や家事、移動などは基本的に除外してもらっている。つまり、12時間以上、みっちり働いていることになる。
これだけ働くと、さすがに疲れる。余暇というものが全くない。遊んでいる暇がない。これは、あまりよろしくない状態だと思う。余裕は大事だ。余裕があるから、いろいろなことができるようになる。余裕がない状態は、持続可能ではない。ということは理解しているはずなのに、なぜこうなってしまうのか。
正直、どうすればいいのかわからないけれど、とにかく今は、やるべきことをやらなければならない。先延ばしにすればするほど、あとがしんどくなる。余裕がないから先延ばしにせざるを得なくなるのであり、つまり、やはり、余裕は大事なのだ。
まあ、その意味では、こうして毎日エッセィを書く行為は、余裕を強制的に生み出す装置として機能していると言えなくもない。別に、これがなくなったところで誰も困らない。余計なことを、あえてやっている。案外、これのおかげで、心身を壊さずにいられるのかもしれない。
余裕は大事だ。もっと余裕を持って生きたい。そのために、いま、少しだけ無理をしてみている。もっとも、好きなことをしながら死ねたら本望だ。余裕をたっぷりもって、好きなことを死ぬほどやる。それが理想の生き方かもしれない。