次に付き合う人が最後の恋人になるのだろう。なんとなく、そんな気がしている。遊びたい、みたいな気持ちは一切ない。そもそも遊びで付き合うということがどういうことかわからない。一応、それなりに真剣にやってきたつもりだ。
人生が、良くも悪くも収束に向かいつつあるように思う。良いことのほうが多い。20代の頃は、収束に向かう人生なんてつまらないと思っていた。この世界には無限の可能性があり、そのすべてに対して開かれていることが重要なのであって、守りに入るなんてもってのほかだ、と。
守りに入るというのは、ちょっと違う。結婚願望もあるけれど、それは守りではなく攻めである。一人では辿り着けない場所に行くために、もう一人、必要なのだ。終わりではなく、始まりなのだ。
そう思うと、収束というのも少し意味が変わってくる。喩えるなら、遠い大陸へ向かう航海みたいなものだ。船の上は狭く、心細い。船という檻に閉じ込められているような気がする。でも、船は無限の海の上をたしかに進んでいる。そして辿り着いた大地には、さらなる無限が待っている。20代の頃の私は、船から海に飛び込もうとしていた。というか飛び込んでしまい、溺れかけたところをもう少し大きな船に拾ってもらい、なんとかこうして生き延びている。
最後の恋人は、船に向かって泣きながら花束を投げ込む人ではない。ともに船に乗る人だ。そして荒れ狂う大海原を、ともに突き進む人だ。最後の恋とは、すなわち旅に出ることである。最後の恋人の予感は、長く果てしない旅が、これから、ようやく、始まろうとしている予兆なのかもしれない。