結婚に対する焦り

池田大輝
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公開:2025/10/24

最近になって、結婚にまつわるエッセィを書くようになった。だから、私が結婚したくてたまらない人間に見えている人がいるかもしれない。結婚に対する焦りは、今のところ、あまりない。少なくとも、生物学的には焦る年齢ではない。もう10年くらいは大丈夫だろう。結婚しないの?と問い詰めてくる人もいない。のらりくらりとやらせていただいている。

一方で、同級生は破竹の勢いで結婚してゆく。特に女性は、年齢の近い知り合いのほとんどがすでに結婚している。少子化だとか晩婚化だとかいう話が嘘みたいに聞こえる。インスタのストーリーは、パートナーか赤ちゃんの写真で埋め尽くされており、もはや誰が誰だか判別できない。そのような様子を見ていても、不思議と焦ることはない。微笑ましいな、と思うばかりである。

マッチングアプリや結婚相談所の類も利用したことがない。合コンにも行ったことがない。恋人が欲しいと思ったこともない。よくそれで恋愛ゲーム作家が務まるな、と思う。とはいえ、恋人が欲しいと思うことと、恋することは別物であり、同様に、結婚したいと思うことと、結婚することもまた違うのだろう。

つまり、結婚は、結婚の意志とほとんど無関係であるといえる。結婚相談所でパートナーに出会えるのは、その結婚相談所に「運命の相手もたまたま通っていた」からであって、仮に通っていなかったとしても、いずれどこかで出会っていたはずなのだ。

運命は、この世界のいたるところにある。結婚相談所に通うことは、出会えたはずの運命に出会う確率を下げる行為だ。たまたま、運命の相手に出会えた人はきわめてラッキーであり、事実、婚活が全然うまくいかない人をネットでは頻繁にお見かけする。視野を狭めるほど出会いの確率が下がる、という事実を、視野の狭い人に伝えることは難しい。

なぜ、私がこれほどまでにのらりくらりできるかといえば、運命というものに何度も出会ったからだ。日本ファルコムというゲーム会社に入ったことは、大きな運命の転換点だった。映画を撮りたかったはずなのに、興味のないゲーム業界に入った。それから、運命の歯車の上で、ワルツを踊るように生きてきた。私はダンスが苦手だ。幾重にも絡まる運命の歯車たちが、私を無理やり踊らせたのだ。

その回転は、今も続いている。たくさんの歯車が複雑に絡み合いすぎて、もはや挙動は予測できない。だから、身を委ねるしかないのだ。それは、つまり、いずれ出会うであろう運命の相手もまた、歯車の迷宮で踊らされていることを示唆する。あるいは、ダンスが得意な人なら、まるでサーファーが波に乗るみたいに、歯車の上で踊り狂っているかもしれない。結婚は全く焦っていないけれど、ダンスは少しくらい練習しておいてもいいのかもしれない。

@radish2951
恋愛ゲーム作家。毎日21時頃にエッセィを更新しています。恋愛ゲーム『さくらいろテトラプリズム』をよろしくお願いします。 daiki.pink