私は子供が苦手だ。小さい子供が特に苦手。幼稚園、小学校、中学校の先生は絶対にできる気がしない。高校生だったらなんとかなりそうだけれど、大学受験という激重イベントの責任を負うのは、別の意味でやりたくない。
一方で、子供っぽい人はなんか好き。子供っぽいことと、子供であることは違う。子供っぽいことと年齢は関係ない。ぱっと思いつくのは、スマブラやカービィの生みの親である桜井政博さん。言うまでもなく、桜井さんは偉大なゲームクリエイターであり、仕事ぶりだけを見れば立派な大人である。けれど、その精神はきわめて子供っぽいと思う。若々しい、無邪気、と言い換えることもできる。
そう思わせる原因の一つは、先入観がないことだと思う。『桜井政博のゲーム作るには』を観るとよくわかる。常識とか、普通とか、そういう言葉はほぼ登場しない。面白いゲームをつくるためにはどうすれば良いのかという問いに、まっさらな思考で挑戦している。桜井さんほど経験のあるディレクターなら、手に馴染んだやり方がいくらでもあるはず。それでも、桜井さんは「手段」を説明しない。桜井さんが説いているのは「姿勢」である。
面白いゲームをつくるための、銀の弾丸は存在しない。決まりきった方法を積み重ねるだけでは、良いものは完成しない。どういうものが面白そうか、常にアンテナを張らなければならない。インプットとアウトプットを増やせ、と桜井さんが仰る意味もここにあると思う。要するに、凝り固まってはいけないのだ。大人になると、常識や前例に囚われてしまう。ドロドロとした血液のように同じ場所に留まり続け、身体を不健康にしてしまう。だから、よく遊び、よく食べ、よく考えなければならない。まるで、夏休みの子供みたいに。
子供っぽさは、社会にとっては悪である。みんなが子供っぽかったら、世界はとっくに崩壊している。人間の髪も皮膚も、死んだ細胞でできている。凝り固まった大勢の大人が、社会という生命体を支えている。けれど、全員が凝り固まっても困る。血液も心臓も、固まるわけにはいかない。死んでしまった世界の中で、腐らず、絶望せず、ただ愚直に生きなければならない。
年老いても健康であり続けることはできる。大人になっても子供っぽくあり続けることはできる。大人になることは簡単で、子供であることは難しい。成熟していく世界に抗うように、純真であり続けなければならない。まっさらで、しずかで、果てしない自由の海を、誰よりもクリエイティブに泳ぎ続ける。本人は、クリエイティブとは思っていないだろう。ただ、気持ちに素直に生きる。そういうところが子供っぽいのだ。