『都市伝説解体センター』というゲームを友達が買ってくれた。面白いからぜひやってほしいということで、ヨドバシカメラへ二人で買いに行った。名前はもともと存じ上げていて、開発元である墓場文庫さんとは同じゲームイベントに参加したことがある。面識はない。
ゲームをプレイするのは何年ぶりだろうか。ここ数年は、つくるのが忙しすぎて、ろくにゲームをプレイしていなかった。Switchの電源を入れるのも久しぶりで、しばらく電源が入らなかったけれど、その後、ちゃんと起動した。呪われたわけではなかったらしい。
それから2日ほどかけてクリアした。内容についてはネタバレになるのでほとんど書けない。基本的には、都市伝説解体センターというタイトルの通り、都市伝説すなわち謎を解き明かすゲームである。思っていたよりも怖かった。個人的にはがっつりホラーの部類に入る。お風呂に入るのが少しだけ怖かった。
ゲームはなかなか面白かった。こういう謎解きはあまり得意ではないのだけれど、不慣れな人でも楽しめるように配慮がなされていると感じた。ドット絵のグラフィックも、音楽も良かった。書ける感想はこれくらいかな。これ以上はネタバレになりかねないので、気になる人はネタバレを踏む前にプレイすることをおすすめする。
この先は個人的な話。ゲームでも映画でも、面白い作品に出会うたび、「これは自分にはつくれないな」と思うことがある。少し違う言い方をすれば、優れた作品は、「お前にはつくるべきものがある」と、語りかけてくるのだ。
圧倒的な作品の力は、魅力というよりも畏敬に近い。触れてはならない、超自然的なオーラを放っている。触れてしまったが最後、呑み込まれてしまいそうな底知れなさがある。だから、近づいてはいけないのだ。お前はこちらに来るべきではない、と。
少し前まで、私はそれを憧れと呼んでいた。憧れとは、すなわち引力である。惹きつけられ、吸い込まれる。吸い込まれることは心地よい。強烈な重力にただ身体を委ねれば良い。
けれど、クリエイターとして生きるためには、それではだめなのだと気づいた。吸い込まれてはいけないのだ。その意味で、憧れは執着に近い。かつての恋人に想いを抱き続けた先には、破滅だけが待っている。憧れを抱くことは悪くない。憧れ続けることがいけないのだ。
『都市伝説解体センター』が、そのように超自然的な魔力を放つ作品だったかといえば、そこまでではなかった、というのが正直な感想だ。面白くなかったわけではない。面白かったし、いろいろ考えさせられた。考えたことを、いま、こうして書いている。煮え切らない書き方なのは、ネタバレをしたくないからだ。
やれやれ、こういうのは私には向いていない。謎を解き明かすよりも、生み出すほうが向いている。感想や考察は実況者の方々にお任せするとして、私からはあなたに謎解きをひとつ。最近、世界が終わりを迎えた。その日付は?
答えは世界の内側と、ゆえに定義される外側の、その境界面上にある。